BtoBマーケティングが浸透してきた今、BtoBマーケについて検索すれば、まとめ情報は無数に見つかります。でも、マーケティング担当者が切実に知りたいリアルな体験談や等身大のノウハウは、なかなか見つかりません。

そこで本コラムでは、読者に代わって、『ferret』運営会社である株式会社ベーシック 代表取締役の秋山が、活躍するマーケターや成長企業の経営層に突撃インタビュー。BtoBマーケやスタートアップ成功の秘訣を探ります。

今回のゲストは、株式会社SmartHRの代表取締役社長、宮田氏。2年連続シェアNo.1を誇るクラウド人事労務ソフト『SmartHR(スマートエイチアール)』誕生秘話から、SaaSのプライシングの肝まで、根掘り葉掘りお聞きしました。

プロフィール

宮田 昇始(みやた しょうじ)

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株式会社SmartHR 代表取締役・CEO
大学卒業後、IT系企業に入社し、Webディレクターとして医療系Webサイトアプリのディレクションに携わる。2012年、10万人に1人と言われる疾患を発症。完治後の2013年に株式会社KUFU(現株式会社SmartHR)を創業し、2015年に『SmartHR』サービスをスタート。

秋山 勝(あきやま まさる)

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株式会社ベーシック 代表取締役社長
高校卒業後、商社に入社。2001年、IT系上場企業に移り、Webマーケティング分野の新規事業企画などを手がける。2004年に「世の中の問題を解決する」をミッションに、株式会社ベーシックを創業。設立以降、50を超えるサービスを生み出し、10件以上のM&Aの実績を持つ。

実は12番目の末っ子、『SmartHR』

秋山:『SmartHR』はリリース直後に、「TechCrunch Tokyo 2015」をはじめとしたスタートアップ向けピッチイベントで優勝し、大きな話題になりました。その後も、「HRアワード 2016 最優秀賞」や「グッドデザイン賞 2016」を受賞するなど、スタートから順調でしたよね。このサービスをつくるために、創業したんですか?

宮田氏:いえ、そういうわけじゃないんです。2013年に創業してから2015年に『SmartHR』を始めるまでに、10以上のサービスを考えました。『SmartHR』は、当社にとって世に出したサービスとしては3番目、日の目を見なかったものも合わせると12番目のサービスなんです
仮説を立ててプロトタイプを作っては検証を繰り返していて、短いものだと1週間で、「これはニーズがない」と判断したサービスも数多くあります。

秋山:12番目! では、『SmartHR』が誕生したきっかけは何だったんですか?

宮田氏:2015年に、3ヶ月間のアクセラレータープログラムである『Open Network Lab』に参加したことですね。100社程応募があった中から数社が採択され、そのうちの1社が当社でした。当時は、SaaSの比較サイトを運営していました。
ところが、参加早々にメンターの方々との壁打ちミーティングで、「そもそも、ユーザーの課題をちゃんと把握していますか?」と、痛い所をついたダメ出しを受けたんです。会社の銀行残高は今にも尽きそうな状況で、さらにプライベートでは子どもが産まれる直前。「今こそ何とかしなければ」と、切羽詰まりました。そうしてVC(ベンチャーキャピタル)へのプレゼンテーション期日が迫るなかで生まれたのが、『SmartHR』というサービスなんです

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初めて、「自分がやるべきサービスだ」と思った

秋山:当初から、それまでに作ったサービスとは違う手応えを感じていました?

宮田氏全然違いますね。例えば、先ほど話したSaaSの比較サイトは、自分たちが机上の空論で設定したユーザー課題を基に開発していたので、ユーザーのニーズに関して聞かれても、「こういうニーズがあると思います」という想定でしか話せませんでした。そこで、いざユーザーヒアリングを行ってみたところ、課題そのものが存在していないことがわかったんです。
その反省を活かして『SmartHR』を企画した際は、Facebookで人事・労務の担当者にターゲティングした事前登録用の広告を出しました。予算2万円で。まだプロトタイプすらできていないときだったんですが、広告を止めてからもクチコミで登録が増え続け、1ヶ月で200名くらい集まりました。チャットツール経由でのアクセスが多いことから情報がシェアされていることがわかり、「それだけ世の中に求められているサービスなんだ」と、ユーザーニーズがあることを確信しました

秋山:それは凄いですね。集まった200名の方には、どんなアプローチをしたんですか?

宮田氏:正直に、「まだサービスはできていないんですが、ユーザーヒアリングにご協力いただけませんか?」と打診しました。半分くらいの方がわざわざ返信をくれて、そのうちの半分くらいの方が、ヒアリングに協力してくれました。
サービスをつくるうえでメンターからは、「誰の、どんな課題を、どうやって解決するのか」、「既存の代替品は何か」、「市場規模はどのくらいか」といったことを問われます。そして、それらをすべてクリアしても、「このサービスをあなた達がやる意味は何なのか」という最大の問いが残ります。正直、それ以前のサービスに関しては、他の誰かではなく自分達がやる意味は感じていませんでした。でも、『SmartHR』のアイデアを思いついたときは、「これこそ自分達がやるべきサービスだ」という実感があったんです。

秋山:なぜ、「自分達がやる意味がある」と感じたんでしょう?

宮田氏:創業前の2012年に遡るんですが、僕は前職のときに10万人に1人と言われる疾患にかかり、車椅子で闘病した経験があります。麻痺によって目を閉じることすらできず、「前のように働くことは無理かもしれない」と人生を諦めかけたときもありましたが、リハビリが功を奏して運良く社会復帰が叶いました。その働けない期間にお世話になったのが、雇用保険の傷病手当だったんです。でも、そうした労務関連の手続きは本当に煩雑で、利用する本人も雇用主である会社も申請に苦労します。
『SmartHR』を立ち上げる少し前、本来は企業が行うべき産休や育休の手続き書類に、妊娠中の妻が自ら記入しているのを目にして、この手間を削減できないかと考えました。また、闘病当時のことを思い出し、社会保険にお世話になって、またこうして働けている自分だからこそ、労務管理の非合理をハックするサービスをつくるべきなんじゃないかと。

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SMBから大企業へ! 転機は向こうから訪れた

秋山:次々とピッチコンテストで優勝されて、リリース直後からIT業界での知名度が凄かったですよね。

宮田氏:当時は僕も含めて3名しかおらず、広告宣伝にかける資金もなかったので、まずはIT業界をターゲットに置いてピッチイベントに出ることにしたんです
「TechCrunch Tokyo 2015」、「B Dash Camp 2016 Spring in Fukuoka」、「Infinity Ventures Summit 2016 Spring Miyazaki」で続けて優勝できたおかげで、あっという間に無料トライアルのお客様が1,000社くらい集まった記憶があります。IT業界のSMB(Small and Medium Business)が中心です。

秋山:そこから、どうやって顧客層を拡大して行ったんですか?

宮田氏:SMB向けのサービスとしてはだいぶ完成されてきた2017年頃から、今度は自然と飲食・小売のチェーン店といった、従業員数が多い企業からの引き合いが増えてきました。労務管理の課題はどの企業にもあるものなので、たまたま課題を感じていた企業が当社のサービスを見つけてくれた、という感じです。

秋山:まさに、貴社のミッションにある、「人が欲しいと思うものをつくろう」を実践した結果ですね。

宮田氏:そこで、これまでは視野に入れていなかった、従業員数1,000名以上の企業も対象とすることにしたんですマーケティングのメッセージも変えましたし、大企業のニーズに合わせて、抜本的に仕様を見直しました。ここが大きなターニングポイントになっていて、飲食・小売業界はもちろん、今ではホテルや学校、病院にもご利用いただいています。

秋山:労務管理のニーズが変わるのは、どのくらいの企業規模からなんですか?

宮田氏:従業員数5名以下の企業では社長自身が労務管理手続きをしていることが多いので、手続きの進め方などの学習コストを削減したいというニーズがあります。
でも、同じSMBでも従業員数が10名を超えてくると、労務管理の担当者がいる企業が多いんです。既に手続きのノウハウ等を持っている担当者にとっては、学習コストの削減よりも、効率化や複数の担当者で業務を標準化できることの方が望ましい。このニーズは、SMBでも大企業でもそんなに変わりません。『SmartHR』は、そうしたニーズに応えられるように設計しています。

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SaaSのプライシングの秘訣とは!?

秋山:『SmartHR』の価格は、どうやって決めたんですか?

宮田氏:ローンチ当時は競合サービスもほとんどなく、価格の検討がつかなかったので、これもユーザーにヒアリングしました
「月額いくらが妥当だと思いますか?」と投げかけたところ、利用意向の低いユーザーほど高めの金額を、意向の高いユーザーほど安めの金額を返答する、という傾向が見られました。
しかし、それでは価格を設定するうえでは参考にならないので、今度は、「月額どのくらいだと高いと思いますか?」という質問にしてみたところ、「その会社の従業員数と月額予算に相関がありそうだ」というのが見えてきました。つまり、従量課金です。そこで初めは、従業員1名に対して約400円という値付けをしました。でもこれは、安過ぎました。最初なので、ちょっと勇気が足りなかったんですよね。

秋山:安過ぎたと言うと?

宮田氏SaaSはアップデートして行くことが前提で、常に機能をブラッシュアップして行きます。そうすると、「500円の価値があるけれど、400円でどうぞ」と言っていたサービスにどんどん機能が追加されて、数ヶ月もしないうちにユーザーから見て750円払っても使いたいくらいの価値があるサービスができ上がるんです。その価値を見越すべきでした。

秋山:以前、この対談に登場していただいた企業の中には、20回以上価格を変えたところもありました。SaaSプロダクトのプライシングは未だに確立された手法がなく、難しいですよね。

宮田氏:でも、海外のある投資家の言葉に勇気をもらいました。ざっくりとまとめると、「成功した企業は、だいたい数年で10倍くらいの平均単価になるので、ローンチ当初は平均単価が低くても大丈夫。SaaSのプライシングの秘訣は、機能に応じて適切に値上げすること、アップセルできるオプションを用意していくこと、そしてSMBからエンタープライズへと顧客対象を拡げて行くこと」というものなんですが、実際ローンチから4年半経って、『SmartHR』は、ほぼこの通りに歩んで来ています。

秋山:それは、僕自身にも学びになります。ところで、2019年10月に、それまでは「従業員数上限10名」だった無償提供枠の対象企業を、「従業員数上限30名」に拡大されましたよね。どうしてですか?

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クラウド人事労務ソフト「SmartHR」が無償提供枠を30名まで拡大 〜 手続き書類の作成を効率化し、日本の人事労務改革を後押し 〜

宮田氏「従業員数上限30名までは無料」と言うと、フリーミアムの文脈で捉えられることがありますが、そういうわけじゃないんです。ローンチ直後は、ユーザー企業のほとんどがSMBでしたが、2019年の時点で従業員数30名以下の企業の売上は7%未満になっていました。代わりに伸びてきているのが、エンタープライズです。そこで、30名以下の企業を無料にし、サポートは有料サービスご利用企業のみとしました。
これは、コストにシビアなSMBのユーザーも嬉しいし、サポートのリソースを適切に配分できる私達も嬉しい。そして、有料ユーザーもサポートが手厚くなって嬉しい。つまり、メインターゲットの変遷に合わせて、無料枠を見直しただけなんです

秋山:値下げする分には、ユーザーも喜んでくれますからね。

宮田氏:反対に値上げは、稟議の上げ直しなど、ユーザーに不利益が発生するので慎重になります。
価格改定を行うときは、必ず目玉となる新機能の追加を一緒に行い、ユーザーが納得して新価格を受け入れてもらえるようにしたり、既存ユーザーは新料金を適用するまで1年の猶予を持つとか、そうした配慮も欠かせません。

秋山:なるほど。マーケティング施策については、後ほどVP of Marketingの岡本さんにお聞きしますが、宮田さんにもこの対談の最後にいつもしている質問をしても良いでしょうか。宮田さんにとってマーケティングとは? マーケティング is 何でしょう?

宮田氏:『SmartHR』が生まれる前から変わっていない、僕の信念に通じるんですが、マーケティングとは、「人が欲しいと思うものをつくって、その人に届ける」ことだと思っています
よく、DropboxやUberはユーザー紹介のマーケティングが上手かったという言われ方をしますが、そもそもDropboxが良い製品じゃなかったら、友達に紹介して、自分が使える容量を増やしてもらっても嬉しくないですよね。ユーザー紹介云々の前に、ちゃんと良いサービスであるということが大切だと考えています。ユーザーが、「自分はこれを使っているよ」と友達に自慢できるようなサービスをつくることが、僕にとってのマーケティングの第一歩ですね。

秋山:貴社の「人が欲しいと思うものをつくろう」というミッションは、宮田さんの中に深く刻まれている言葉なんですね。本日は、ありがとうございました。

(次回、VP of Marketingの岡本氏との対談に続きます)