2016年7月から世界各国で順次リリースされたゲームアプリ「ポケモンGO」。日本では7月22日にリリースされ、大きな話題となりました。

リリース後わずか8週間で5億ダウンロードを突破し、様々なギネス記録を打ち立てたポケモンGOは、どのような思考のもとに生まれたのか。

今回は、TechCrunchTokyo2016内で行われたNiantic野村氏による「ポケモンGOの誕生ストーリー」についてのセッションの様子をお届けします。

登壇者紹介

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野村達雄氏(Niantic, Inc. ポケモンGOゲームディレクター)

1986年生まれ。2011年東京工業大学院修了、米Google入社。「Googleマップ」のエンジニアなどを務めた後、15年にNianticに移籍。
引用:日本経済新聞

始まりは、2時間で作ったGoogleマップドラクエバージョンから

GoogleにてAndroidGoogleマップ関連業務に従事していた野村氏は、Googleが毎年行なっているエイプリルフール企画のアイデア出しの際に、Googleマップとゲームのドラゴンクエストを掛け合わせたアイデアを出しました。

「エイプリルフールの1つとして2011年の年末に話をしているとき、Googleマップをドラクエみたいにしたらおもしろいかもなと。僕は子供の頃からゲームが好きで、大学時代は自分でファミコンを作ったりしていました。」

アイデアを思いついた後、野村氏は2時間ほどでGoogleマップのドラクエバージョンを作成しています。

「早速、Chromeエクステンションでプロトタイプを作ってみた。青いところには水、緑のとこは木を当てはめた簡単なプログラムだったが、このマップを見ただけでイメージがつく。

新しい事業をやるとき、文章で書くよりもデモを1つ作った方が説得力が増します。少なくとも僕の場合はデモの方が効果的でした。」

最終的にはGoogleマップをファミコンソフト化したものを発表し、大きな反響を得ました。その後も継続してGoogleマップを活用した企画を考案します。

2014年のアイデアを出す際、野村氏は「ポケモンがGoogleマップにいたらおもしろいんじゃないか」と考えました。

「2014年、エイプリルフール企画として出した際には、Googleでポケモンマスターを募集し、ポケモンマスターの試験を実施するというものでした。実際にポケモンを150匹捕まえた人にはポケモンマスターの名刺も送りました」

「ポケモンチャレンジ」として進行したエイプリル・フール企画はまた大きな反響を獲得し、その後「ポケモンGO」へと進化します。