BtoBマーケティングが浸透してきた今、BtoBマーケについて検索すれば、まとめ情報は無数に見つかります。でも、マーケティング担当者が切実に知りたいリアルな体験談や等身大のノウハウは、なかなか見つかりません。

そこで本コラムでは、読者に代わって、『ferret』運営会社である株式会社ベーシック 代表取締役の秋山が、活躍するマーケターや成長企業の経営層に突撃インタビュー。BtoBマーケやスタートアップ成功の秘訣を探ります。

今回のゲストは、株式会社SmartHRの執行役員であり、VP of Marketingを務める岡本氏。前年比でマーケ予算が3倍に増えた、注目企業のマーケの実態に迫ります。

プロフィール

岡本 剛典(おかもと たかのり)

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株式会社SmartHR 執行役員・VP of Marketing
教育系ベンチャー企業に入社後、2009年にGMOクリック証券株式会社に転職。プロダクトマーケティング職を経て、マーケティング責任者を務める。2018年10月よりマーケティング責任者としてSmartHRに参画。これまでに約100億円を投下し、デジタルとマスマーケティングを統合したマーケティング・ブランディング戦略を策定・実行。

秋山 勝(あきやま まさる)

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株式会社ベーシック 代表取締役社長
高校卒業後、商社に入社。2001年、IT系上場企業に移り、Webマーケティング分野の新規事業企画などを手がける。2004年に「世の中の問題を解決する」をミッションに、株式会社ベーシックを創業。設立以降、50を超えるサービスを生み出し、10件以上のM&Aの実績を持つ。

世の中のためになる、と確信したプロダクト

秋山:前職はFinTech企業ですよね。HRテクノロジーであるSmartHRに移られた経緯から、お伺いしても良いですか?

岡本氏:SmartHRには2018年10月に入社しています。前職は、ネット証券のマーケティング責任者として、BtoCマーケティングに携わっていました。やりがいはあったんですが、「マーケターとして一生を賭けられる仕事をしたい」と思うようになり、生涯を賭けても良いと思えるビジネスドメインを探し始め、転職活動の過程で弊社に出会ったんです。
入社の決め手はいくつかありますが、一番は、「このサービスは世の中のためになる」と確信したことですね。勝ち目のあるプロダクトだと思いました。ほかには、スタートアップでチャレンジしてみたい思いが強かったこと、そして、弊社がバリューとして打ち出している価値観に共感したことでしょうか。特に、「最善のプラン C を見つける」と、「ワイルドサイドを歩こう」というバリューが気に入っています。

秋山:プロダクトとしてのSmartHRは、2015年のローンチですよね。岡本さんが入社された2018年は、どんな状況だったんですか?

岡本氏:プロダクトリリース直後は、ユーザーは、新しいものが好きな従業員100名以下くらいのIT系企業がメインでした。僕が入社した2018年は、そこから飲食・小売業界にターゲットを拡げている時期で、マーケティング・広報のメンバーは5名。デジタル1名、広報1名というように、各専門領域を担当する専門家の集まりでした。
そこで私に求められたのが、再現性の高いマーケの組織づくりです。それまでは月中に、「今月の○○の数字がヤバそう。何か手を打たないと」という状況になって、担当者が場当たり的にスポット施策を打つことが多かったんです。それを、前月までに、「来月はリード案件を取ることに注力する」等の方針を決め、マーケのメカニズムを整えることから着手しました。そこからやっと、マーケの仮説検証が始まり、PDCAを回し始めました

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データのなかったマーケティンググループ

秋山:数十億円規模のマーケ予算を投下する成熟市場の大企業から、市場開拓中のスタートアップへの転職。大きく環境が変わったと思うんですが、特に違いを感じたところはありますか?

岡本氏入社直後に一番驚いたのは、企業としてマーケデータが組織として使える形で蓄積されていなかったことですね。当時は、GA(Google Analytics)以外の解析ツールは入っていませんでしたし、広告出稿時のデータ管理も属人化していて、各担当者のローカル環境にしかマーケデータがないような状況でした。社内サーバに、まとまったマーケデータが全くないんです。

秋山:それは衝撃的な。2018年というと、もうTVCMを何本か流していらした後ですよね。

岡本氏:TVCMは随分早い段階でやっていましたね。おかげで、マーケットの認知は取れていました。ユーザー企業の先にエンドユーザーがいるサブスクリプションサービスなので、戦略としては正しいと思います。でも、当時の組織体制なんかと照らし合わせると、「よくやっていたな」と驚きます。
そして、TVCM等のマスマーケが早かったのに対して、デジタルのマーケが弱かったんですよね。そこでまず、デジタルマーケの強化に踏み込みました

秋山:具体的には、どんなところからテコ入れしたんですか?

岡本氏:デジタルマーケが得意なメンバーを中心に、データをきちんと取って蓄積するところから整備していきました。とにかく、ROI(Return On Investment)を高めようと。デジタル広告の効果を計測できる体制をつくって、アロケーション(予算配分)しながら現在に至っています。そうしたデータ計測と蓄積の体制ができてからは、マーケ方針の判断をしやすくなりました。
弊社は、P/Lから口座残高に至るまで経営情報を社員に公開しているので、各々のマーケ施策は担当者に任せています。私は経営方針に沿ってマーケ方針を決めて、バジェットと、MQL(Marketing Qualified Lead)とその獲得効率を各担当者と握っておくくらい。施策自体は、ほぼボトムアップです。

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BtoBマーケ、綺麗にやろうとしていない?

秋山:貴社では、マーケティングとプロダクトの関係ってどんな感じなんでしょう?

岡本氏:弊社のマーケティングは、4Pで言うところのプロモーションの領域です。プロダクトがまず先にあって、そのうえでのプロモーション。マーケティング戦略としては、「THE MODEL」を完全にトレースしています

秋山:前職のBtoCマーケとBtoBマーケでは、結構違いがあると思うんですがどうですか?

岡本氏:マーケ全体で言えば、BtoCと比べてBtoBはまだ発展の余地があると思います。特に、張り方と計測に関して、多くの課題があります。
また、SaaSプロダクトの傾向としてリードジェネレーションオンラインよりもオフラインに偏っているところが多く、全体的に「綺麗にやろうとしているのかな」と思うところが多いですね
例えば、ブランディング施策です。企業ブランディングの目的は企業自体の成長を達成することですが、クリエイティブの見た目や耳障りの良さばかりを意識しすぎて、本来の目的を見失っているものもあります。もちろん、リスク判断・細部へのこだわりは大切ですが、企業の成長を促すという目的達成のために、思い切った決断をしたほうが良いときもある。弊社バリューの「ワイルドサイドを歩こう」じゃないですけど。

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(SmartHR社の価値観)

秋山:「綺麗にやろう」という意識を捨てればできるマーケ施策って、例えばどんなものがあります?

岡本氏:弊社の場合は、運用型広告や成功報酬型広告に力を入れるようになりました。特に最近は、以前はほぼやっていなかったアフィリエイト広告の占める割合が多くなっています。BtoBマーケでアフィリエイトに力を入れているところはまだ少ない印象ですが、ROIは良いですね。
ただし、出稿先のメディアやクリエイティブの質はちゃんと確認します。弊社の場合は、人事労務担当者さまが集まるメディアという前提は譲れませんし、このクリエイティブを見たユーザーがどんな気持ちになるのかという想像力は忘れないように気を付けています。

社長から「もっとアクセルを踏んで」と催促された

秋山:2019年7月に、シリーズCラウンドで約61.5億円の資金調達をされましたが、マーケ的側面ではどんな変化がありましたか?

岡本氏:やっぱり、インパクトがあったのは、バジェットが潤沢に取れるようになったことです。SmartHRの2020年度のマーケ予算は、前年比の2~3倍くらいになる想定です。社長の宮田からは、「もっとマーケで予算を使ってアクセルを踏んだほうが良い」というプレッシャーを受けたりしますね。
ただ、色々な株主の方から調達したお金なので、無駄遣いはしたくない。マーケの予算に関しても締めるところは締め、大きめのマスプロモーションに思い切って投下するなどメリハリをつけるようにしています。

秋山:マーケ予算は前職と比べて変化はありましたか?

岡本氏:今年は概ね同規模くらいになる見込みです。ただ、金額はほぼ同じでも、感覚としては全く別物です。前職のときは前任者から引き継いだ予算だったので、自分で作ったものではありませんでした。今年の予算は、資金調達というバックグラウンドは不可欠ながらも、この1年半の実績を基に自分が作り上げたものだという意識があります。
私は、マーケターのミッションは、お金という資産を使って最高のリターンを狙うことだと考えています。投資と回収のサイクルをどう上手く回すかが、大切。デジタルだろうがマスだろうが手法にはこだわらず、今ある道具を使ってリターンを最大化することに注力しています。その成果が、今年の大きな予算になって表れた感じですね。

エンタープライズは、ゲリラ戦

秋山広告予算も大幅に増加していますが、ユーザーターゲットもSMBからエンタープライズまで広がっていますね。それぞれどんな施策を取っているんでしょう?

岡本氏:今は中小規模の企業のニーズに応えながら、大企業と言われるナショナルクライアントにしっかり入っていこうとしているところです。これまでいただいたことのなかった大企業のリクエストに応えていくことで、プロダクトに磨きがかかっている実感がありますね。
企業規模の大小によって、戦い方はグラデーションがあります。中小企業は、いわゆるマーケの領域。メディアとクリエイティブを決めて大量に当たって、確率を上げていく、確率戦の領域。一方で、エンタープライズは、ゲリラ戦だと思っています。1年程前からABM(Account Based Marketing)を始めていて、特に大きい企業をリストアップし、インサイドセールスとクロージングセールスが連携して進めているんですが、やればやる程、再現性の低さを実感します。個別対応しかない。今は、エンタープライズに関しては、セオリーを作らないことが勝ち筋なんじゃないかと思っています。

新型コロナウイルスがマーケにもたらした影響は?

秋山:今後はどんなマーケ戦略や施策を予定しているんですか?

岡本氏:「BtoBtoE」と呼んでいるんですが、ユーザー企業の先の従業員(Employee)に働きかけて認知を取っていこうと考えています。これまで以上にプロダクトと密接に結びついたマーケ施策になりますね。本来は6月頃に展開予定の施策だったんですが、新型コロナウイルス感染症の影響で状況が変わって来ているので、リリース時期は未定です。

秋山: 4月7日の首都圏を皮切りに発令された、緊急事態宣言の影響ですね。他にはどんな影響がありましたか?

岡本氏:オフラインマーケで言うと、出展予定だった展示会が中止になりました。また、このような状況下で、クライアントの予算も取りづらくなってきており、全体的にリード獲得数は読みづらくなってきています。4月12日から出稿している交通広告に関しても、こんな事態になる前に企画したものなので、「緊急事態宣言下で多くの人が通勤を控えているなか、いったいどれだけの人の目に触れるんだろう」という懸念もあります。
一方で、これまで日本では遅々として進まなかったテレワークが、やむを得ずではありますが一気に拡大しました。これは、大きなパラダイムシフトだと思っています。商談中のお客様の中には、「テレワーク対応を急いだほうが良いことに気づいた」とおっしゃる方もいます。
私はマーケティングとは、「サービスを送り出す企業と受け取り手である世の中を繋ぐ、情報設計をすること」だと捉えています。つまり、人の心や習慣を変えることが仕事です。今回の世の中の変化によって、それが後押しされたのは否めません。

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(4月12日から出稿している交通広告)

アートとサイエンスのバランスが大切

秋山:では、最後の質問です。岡本さんにとってマーケティングとは? 一言で表すと何ですか? Marketing is 何でしょう?

岡本氏マーケティングは、アート&サイエンス、でしょうか。2019年の広告費の内訳を見ると、マスコミ4媒体の広告費にインターネット広告費が追い付きそうな状況です。インターネット広告はデジタルで数値が積み上がって行き、人の心の動きを可視化できる、まさにサイエンスの部分。そして、マス広告はアートだと思っています。広告費という面で見れば、今年はサイエンスがアートを追い抜くかもしれません。でも僕は、アートorサイエンスではなく、アート&サイエンスでいたい
実際、デジタルの広告出稿に関しては、データとファクトに基づいて決めていきますが、これという指標のないマス広告に関しては、自分たちの感性を信じて全力でいきます。これは、前職BtoCマーケでそれなりのバジェットを回していたときに培われた感覚なのかもしれません。

秋山:今は、マーケターというと、ファクトベースで進めるサイエンス寄りの人が多いかもしれませんね。

岡本氏:アートだけ、サイエンスだけ、というマーケターが多いかもしれませんが、デジタル専門のマーケターであっても、ダッシュボードやCTRだけを追いかけていると情報設計の範囲が小さくなってしまうと思うんです。出稿した広告クリエイティブが実際にどんな印象を与えているかを想像しながら、社会集団を意識したコミュニケーションを取ることは大切ですよね
また、スタートアップである弊社に移ってみて実感したんですが、スタートアップの過去の数字はほとんど参考になりません。数年前とは会社が置かれている状況が違い過ぎるので。
なので、予算配分も直感を大事にしています。ここ1年はデジタルに対してアクセルを踏んでリード獲得数、効率化の上限まできたので、今後はマス広告を中心とした認知獲得施策にシフトしていこうかな…という感じ。

秋山:予算もアート&サイエンスの感覚なんですね。今年の貴社のマーケ展開が楽しみです。本日は、ありがとうございました。