BtoBマーケティングが浸透してきた今、「BtoBマーケ」について検索すれば、まとめ情報は無数に見つかります。でも、マーケティング担当者が切実に知りたいリアルな体験談や等身大のノウハウは、なかなか見つかりません。

そこで本コラムでは、読者に代わって、『ferret』運営会社である株式会社ベーシック 代表取締役の秋山が、活躍するマーケターや成長企業の経営層に突撃インタビュー。BtoBマーケ成功の秘訣を探ります。

今回のゲストは、数々のセミナーから引く手あまたの登壇者であり、BtoB専門Web制作の先駆け的存在、株式会社ベイジの代表者かつ、現役のデザイナーでもある、枌谷氏です。

プロフィール

枌谷 力(そぎたに つとむ)

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株式会社ベイジ 代表
大学卒業後、NTTデータに入社。4年間営業に従事した後、Webデザイナーとして転職。Webディレクターとしても経験を積み、2007年の独立を経て、2010年に株式会社ベイジを設立。現在は、BtoBマーケティング、戦略コンサル、UXデザイン、アクセス解析を得意分野とするデザイナー兼経営者。2017年にはナイル株式会社のUX戦略顧問に就任。

秋山 勝(あきやま まさる)

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株式会社ベーシック 代表取締役社長
高校卒業後、商社に入社。2001年、IT系上場企業に移り、Webマーケティング分野の新規事業企画などを手がける。2004年に「世の中の問題を解決する」をミッションに、株式会社ベーシックを創業。設立以降、50を超えるサービスを生み出し、10件以上のM&Aの実績を持つ。

子どもの頃も、今も、「データベース」が大好き

秋山:以前から、ご自身のブログやnote以外に、色々なメディアで取材を受けたり、コラムを寄稿したり、幅広く活動されていますよね。どの記事も、ユニークな視点と、「ここまでやるのか」という深掘りがあって、思慮深くて丁寧な人柄が伝わってきますが、枌谷さんは、「この記事のためにネタを考える」というスタンスでは書かないとか?

枌谷氏:そうですね。Evernoteには400本くらいブログの原案やメモが保存されていますし、それ以外に日頃考えていることもあるので、その中から記事のネタを選びます。執筆依頼や取材内容に合わせてネタのストックを提供している感覚に近いですね。こういうインタビューは、その場の思いつきで話していたりしますが(笑)

秋山:「そんな枌谷さんの思考プロセスを知りたい、身につけたい」と思うマーケターは、僕以外にも多いと思うので、まず、「今の枌谷さんが出来るまで」をお聞きしても良いでしょうか。小さい頃はどんな子どもだったのか、というところから。

枌谷氏一言で表すとオタクっぽい子どもですね。まず物心ついたときから絵を描くのが好きでした。買ってもらった絵本には、ほとんどのページに落書きしていました。カワイイ動物が出てくる絵本にヘタクソなバルタン星人が登場したりとか。大人になってデザイナーを目指したのも、この頃の原体験が影響しているかもしれません。

それと、男子は割とそうだと思うのですが、データベース的なものが好きでしたね。誕生日プレゼントは毎年、おもちゃではなく図鑑をもらっていたせいもあって、生物の系統樹や進化の系譜、生きた化石や深海生物のようなマニアックなカテゴリの生き物を深掘りして行くことが好きでした。

ドラえもんの道具大百科や怪獣百科事典、モビルスーツ大全みたいな、データベースっぽく整理された分厚い本を見るとワクワクしました。情報構造を読み解いたり、自分の頭の中にインストールする作業が、そもそも好きだったんだと思います

秋山:じゃあ、学校の勉強もできたんですか?

枌谷氏:小学校の成績は悪くなかった気がします。真面目に勉強していたというより、好きなことを好きに覚えていただけですが。体育を除いて、学校の勉強はなんでも楽しかった記憶がありますし。

小学校6年生の自由研究で、でっかい日本史の年表を一人で作ったんです。確か、2クラス分の廊下の壁を使わないと貼り出せないくらいの大きさでした。そのときのモチベーションも、*「褒められたい」というよりは、「好きだから、やりきりたい」*というもの。そもそも、好きじゃなきゃ、そんな面倒なことに手を出しませんよね。

今もよく、僕のブログは「長い」と言われるんですが、小学校時代からその傾向があった気がします。「将来なりたいもの」という作文でも、原稿用紙10枚以上にわたって、生物学者になって世界旅行をする物語を描いていました。昔から、基本的に大作主義だったんですよね。

大学に落ちて、マーケティングのヒントを掴んだ

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秋山:中学以降はどんな感じだったんですか?

枌谷氏:僕が中学生の頃は、オタクが今ほど市民権を得てなくて、オタクへの風当たりが強かったんですよ。イジメの対象になる恐怖や異性の目も気になる多感な時期だったこともあり、自分の中のオタク属性を隠すようになりましたね。それでも話し方とか、イチ聞かれたら十答えるところとかに、オタクっぽさが滲み出ていたと思いますけど。

当時はファミコンブームでしたが、両親がNECのPC-8001mkIIという機種を買ってくれたことで、僕自身はPCゲームが好きだったんですよね。でも、「PCゲームが好き」と言うとオタクっぽいので、1~2名の限られた友人としかそういう話はしませんでした。そんな風に自分を隠すようになっていたので、周りから見れば存在感のない内向的な中学生だったと思います

秋山:僕も同年代なのでよくわかります。PCゲームで「三国志」をやっていましたけど、PCゲームをやる人はほとんどいませんでしたよね。高校時代はどうしていたんですか?

枌谷氏:高校受験はそれなりに頑張って、なんとか進学校に合格したんですが、それで燃え尽きちゃって、一切勉強しなくなりました。高校時代の成績は500数十人中500番台が定位置で、クラスではいつも最下位争いをしていました

塾に行かずにゲームセンターに行っていたのがバレて怒られたり、保護者面談で、「行ける大学はありません」と先生に言われてまた怒られたり、といった高校時代でしたね。スポーツも勉強もできないし、かといって特別仲の良い友達もいないという、中学生時代以上に存在感の希薄な高校生でした。

でも実は、小学校時代にハマった日本史はこの頃も好きで、日本史の成績だけは飛び抜けて良かったんです。そこで、大学は史学科だけに絞って受験したんですが、日本史だけできても受かるわけありませんよね。結局すべての大学に落ちて、浪人決定しました。

秋山:初めての挫折ですか?

枌谷氏:元々スクールカーストの下の方をウロウロしていたタイプなので、挫折というほどのショックはなかったんですが、「僕の人生どうなるんだろうな」という漠然とした不安はありましたね。でもこの浪人時代に、マーケティングの原点みたいな体験をしたんですよ

秋山:浪人時代にマーケティングの原点ってどういうことですか?

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枌谷氏:当時は予備校ブランドが確立していて、駿台予備校と代々木ゼミナールが強く、「その本校に通うのが良い」みたいに言われていました。事実、浪人が決まったほとんどの友人は、駿台か代ゼミの本校に通っていました。

でも僕はそもそも成績がすごく悪かった。それで、友達と比較してしまうと、成績が上がらないことに劣等感を覚えて、途中で嫌になって逃げ出しそうな予感がしたんです。

だから誰もいないところでゼロからやろうと思って、松戸の河合塾に行きました。住んでいるエリアも沿線も違う松戸をなぜ選んだのかは今でも思い出せませんが、とにかく人間関係をリセットして、一人で籠りたいという気持ちが強かったんだと思います。

予備校に入ってからも、「大きな流れには乗らない」という気持ちが強くて。予備校では、事務局が受ける授業を割り振るんですが、教え方が上手で人気のある先生と、そうでない先生がいるので、みんな事務局の決定に従わず、人気のある先生の授業に潜り込むんですよね。

でも僕は、ひたすら事務局が決めた授業を受けていました。人気がない先生の授業を真面目に受けて、その先生の言うことを信じてついて行きました。「授業が終わったら単語カードを作って、行き帰りの電車で見なさい」と言われれば、帰りに文房具屋さんで単語カード買って素直にその通りやっていました。

人気がない先生の授業は受けている人が少ない。だから人気がない先生が教えたことが試験に出たら、自分を含む少数だけが正解できるはずだ。当時はそんな風に考えていましたね。理屈としては破綻していて、そんなことくらいで成績が上がるわけはないのですが、とにかく、多数派と距離を置いた場所に何かあるのでは、と考える習性がありました

秋山:ある意味、ブルーオーシャン戦略ですかね?

枌谷氏: ブルーオーシャンというと大袈裟ですが、「少数派」でいること、「正攻法で地道にやる」ことが自分には向いている、と学んだのが浪人時代でしたね。

成績は夏休みまで微動だにしなかったのですが、夏休み明けから一気に上がり、その勢いのまま受験し、高校卒業時点では考えられない学校に合格できました。

秋山:浪人時代の1年間でどのくらい成績が上がったんですか?

枌谷氏:確か、高校卒業時点で、受験科目のトータル偏差値が39とか40だったんですが、最高で67くらいまで上がったと思います。日本史と現代文は割と得意だったので、苦手な英語と古典と漢文に集中したのも良かったと思います。これはドラッカーが言うところの「選択と集中」ですね

就職浪人が、マーケティング思考を強化した

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秋山:僕も同年代で就職氷河期世代ですけど、就職活動は順調だったんですか?

枌谷氏: 当時は新卒採用にネットが活用されてなかったので、300社くらいハガキを送りました。そのうち50~100社くらいの会社説明会に行き、30~50社くらい面接を受けて、やっと1社受かった、という感じだったと思います。

でもその会社は、外回りでコピー機を売る営業会社で、自分には向いてないと思いました。それで、アルバイトで学費を払うからと親を説得し、就職浪人させてもらったんです。

秋山:当時は、就職浪人なんて珍しいですよね?

枌谷氏:そうですね、就職浪人という言葉自体がまだなかった気がしますね。

でも、その1社から内定をもらったとき、面接のコツがつかめた実感があったんです。皮肉なことに、あまり行きたくない会社だったから、気負わず素で話せたんです。そうしたら内定に繋がった。これをもう一度確かめたいと思いました。

最初の就活では業界も絞らず興味がある会社を片っぱしから受けていましたが、就職浪人時代は、筆記試験の評価が高かったSIerやシステム開発系の会社に狙いをつけ、職種をSEに絞りました。

そして、史学科の学生がなぜSEを目指すのか、その志望動機をしっかり無理のないストーリーに落とし込みました。就職浪人をした理由は素直に話し、分からないことは分からないと言いました。決して自分を大きく見せようとせず、等身大で話すようにしたところ、7社しか面接を受けなかったのに、6社から内定をもらえたんです。

*「ターゲットを絞る」、「自然なストーリーを作る」、「誇張しない」、「当たり前のことを積み重ねる」「奇を衒わない」*という、就職浪人時代のこの基本戦略は、今の自分の仕事や会社経営のやり方にもそのまま繋がっています。

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秋山失敗からの考察は、そのままマーケティングPDCAに通じますね。枌谷さんは、挫折や失敗後に良いひらめきがあるのが凄い。

「当たり前のことを積み重ねる」という姿勢にも、共感します。基本がないままスペシャルな技をやっても通用しなくて、どれほど基本に忠実にやってきたかが結果を左右するんですよね。

枌谷氏:そうですよね。でも、当たり前のことを積み重ねるって地味で大変なことだから、好きなことじゃないと続かないんですよね

実際、そうやって就職浪人までして第一志望の企業に入ったのに、僕はそこでの仕事がどうしても好きになれなくて、長くは働けないと感じました。

そして、元々絵が好きだったことを思い出して絵を描くようになり、Webデザインという仕事を知って、グラフィックデザインのスクールに通い、28歳で未経験デザイナーとして転職したんです。いずれ自分の会社をつくるつもりで。

秋山:それが現在に繋がるんですね。枌谷さんのマーケティング思考は、人生の実体験に基づいているから説得力があるのかもしれません

ベイジさんは、BtoB×Web制作のリーディングカンパニーと言って良い存在だと思いますが、いつ頃からBtoBに力を入れ始めたんですか?

枌谷氏:2006年頃に、慶應義塾大学の余田拓郎先生が書かれた『B2Bブランディング―企業間の取引接点を強化する』という本を読んで、「なるほど、マーケティングやブランディングをBtoBというセグメントで切った領域があるのか」と思いました。でも、その発想を自分のビジネスに活かそうと思いついたのは、2012年頃です。当時発売された、デービッド・A・アーカー先生の『カテゴリー・イノベーション―ブランド・レレバンスで戦わずして勝つ』を読んで、自分が勝てそうなWeb制作のサブカテゴリってなんだろう、と考えたのがきっかけです。

当時既にWeb制作会社が乱立して市場は成熟していましたが、Web制作会社やWebデザイナーの目はまだBtoCに向いていて、「BtoBに強いWeb制作」というセグメントを切って活動している会社はありませんでした。そこで、「このサブカテゴリなら勝てるかも」と思ったんです。予備校時代に、多数派に背を向けたのと同じような感覚かもしれません。

秋山:2012年頃だと、まだBtoBは今ほど盛り上がっていませんでしたよね。

枌谷氏:そうですね、取り組んでいる方はそれなりにいましたが、今ほどの盛り上がりではなかったと思います。

先日BtoBマーケティングのイベントを自社開催したのですが、参加者の20~30%がWeb制作業界のディレクターやデザイナーでした。以前はBtoBマーケティング系のイベントに行っても、Web制作業界の方に会うことは稀だったのですが、その割合を見て時代が変わったと思いました。

見えない情報流通がWebサイトの流入に繋がる!?

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秋山BtoB企業をサポートするWeb制作会社として、譲れないポイントはありますか?

枌谷氏BtoB企業のWeb制作といっても、“ワイヤーフレームを作って、XDやPhotoshopでデザインを作って、HTMLを作って、CMSを入れて”という工程自体は、通常のWeb制作と変わりはありません。オペレーション面では、BtoBならではのノウハウって特にないんです。そのうえであえて、BtoBに強いWeb制作会社”と宣言するなら、Webサイトの前提となるマーケティング領域に言及できないといけないわけです。

実際、私たちのWeb制作サービスでは、Webサイトの上流にあるマーケティングを整理する「戦略フェーズ」を大切にしています。約2ヶ月かけて、ヒアリング、ユーザーテスト、ログ解析、競合分析、ヒューリスティック評価などを行い、クライアントとディスカッションしてWebサイトの方向性を決めてから、具体的な制作に入るんです。

本来このあたりは、発注時にクライアント企業側で決めているべきことなんですが、こうしたリサーチやプランをきちんと詰めた状態でWebサイトを発注している企業は、上場企業を含めてもほとんどないのが実状です。でも、マーケティング戦略の方向性が決まっていないのに、Webサイトで成果を上げることなんてできないですよね。そこで、「せめてWebサイトに関係する領域だけでも」と、我々がマーケティング戦略を整理するお手伝いをしています。

秋山:Web制作の前提として、マーケティング戦略を確認するんですね。

枌谷氏Webサイトは、マーケティングの1ファンクションにすぎないと考えています。だからまず自分たちは、Web制作のプロであると同時に、マーケのプロでなくちゃいけない。穴について詳しくないと、良いドリルはつくれないように。

私たちがWebサイトの議論をする相手は企業のマーケターであることが多いので、彼ら・彼女らと対等に話せなくちゃダメだと思っています。マーケターから「Webだけじゃなくマーケのことも相談できる」と言われるくらいの知見を持っていないと。

秋山:2019年の今、BtoBWebサイトの潮流ってどんな感じなんでしょう?

枌谷氏:2015年頃からSaaSが再注目されて、そこに大量のお金が流れ込んできていることから、BtoB市場は盛り上がっていますよね。また、スマートフォン時代に一般化したUXのあり方もBtoBに影響を与えていて、BtoB×Webサイトという領域は、まだまだ伸びていくと思っています

秋山:クライアントは、どういう課題設定の企業が多いんですか?

枌谷氏:一口にBtoB企業と言っても、業種・業態・規模は多種多様で、課題も千差万別です。ある不動産投資企業は契約上の問題でほとんど情報が出せないなか、Webサイトをどのように活用していくかが大きな課題でした。また、ある化学物質を製造している企業は、集客よりも啓蒙を主目的としたWebサイトを求めていました。

秋山:クライアント企業の状況としては、マーケティング部があって、専任担当がいて、場合によってはMA(マーケティングオートメーション)ツールを導入していて、「とりあえず物は揃ったけど」というところが多いですよね?

枌谷氏:そうですね。確かにここ2~3年でBtoBマーケティングに取り組み始めて、これから加速していこう、というクライアントが多いです。

ある企業は、新設されたマーケティング部に配属された担当者が1年かけて社内を啓蒙し、理解が得られて土壌ができたところで、MAを導入し、
Webサイトリニューアルに着手する、という流れで取り組んでいました。

ただ、そういう足場固めをしないまま、ツールの導入やオウンドメディア施策などに踏み切って、結果うまく活用できていないケースもまだ多いように思います。

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秋山BtoBWebサイトを作るうえで気を付けておいた方が良いポイントはありますか?

枌谷氏:最近、どの企業のWebサイトのログを見ていても、ノーリファラーからの流入割合が以前より多いように思います。これは、ブックマークをする人やURLを直接入力する人が増えているわけではなく、社内メールやチャット内でURLシェアされて、訪問に繋がる機会が増えているのだと考えています。

秋山:データでは見えない部分で、情報交換がされているということですね。

枌谷氏:そうです。こうした背景を考えると、今大切なのはコンテンツにおけるストーリーとコピーの設計だと思います

BtoB商材は、機能が複雑で比較軸が見出しにくい。しかも、担当者と上司といった複数人で、経済合理性を評価しながら購入を決めていく傾向があります。そして、そのプロセスの途中で、社内のインフルエンサーからメールやチャットで情報が提供される、ということが起こります。

このとき、分かりやすいストーリーとコピーを持った商材は検討の場で有利になる。そこで、Webサイトは、それに繋がるコンテンツを提供すべきだと考えています。

例えば弊社なら、「Webサイトをリニューアルしたいが、Web制作会社はどこが良いか分からない」という議論が社内で交わされている状況を想定しています。そこに、Twitterなどを日頃から活用している社内の情報通が「BtoBに強いWebサイト制作会社があるよ」と、メールやチャットで弊社の情報を提供するわけです。訪れたWebサイトに、BtoBに強い理由や、実際の仕事の進め方が分かりやすく提示されていたら、「この会社に声をかけよう」となりますよね。

こうした一連の流れを解像度高く想像できるかどうかで、Webサイトに掲載するコンテンツは大きく変わりますし、成果も変わってきます。BtoBサイトを支援するWeb制作会社にはこの手の戦略性が求められますし、Web制作会社が無理なら、マーケティング会社か発注企業のマーケターがこれを行う必要があります。

「自分が、何を楽しめるかを知ること」が大切

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秋山:自社サイトやブログ、SNSなど、いろんな情報発信チャネルがありますが、新しいチャネルやツールはどんどん使う方ですか?

枌谷氏:実は僕は新しいものにどんどん飛びつくタイプではなく、イノベーター理論で言えば、アーリーアダプターくらいのことが多いですね。クライアントに提案するときはもっと慎重で、ある程度普及しているものをよく見極めて、そのツールがそのお客様に合っているかどうかを判断してから提案します。

秋山:どのチャネルを使うかよりも、どのチャネルで触れても一貫したメッセージを発信していることの方が大切ですよね

枌谷氏:まさにその通りです。それと両極端ではなく、バランスを取ることも大事な気がします。弊社の話をすると、去年から今年にかけて、色々なメディアの取材を受けて多様なドメインにベイジや僕の名前が散らばるようにした一方、オウンドメディアを立ち上げて、情報を一元管理できる場所を作りました。

秋山:僕は、理念に関することはnoteで、個人的な発信はfacebook、会社としての発信はオフィシャルのWebサイト、あとはTwitterという感じです。枌谷さんは、どうですか?

枌谷氏:あまり明確ではないですが、仕事に関する知識提供は会社のブログ、個人的な意見やコンテンツはnote、という緩やかな使い分けがありますね。でも一番使っているのはやはりTwitterです。もはや息を吸うようにTwitterをしてるところもあって、ブログやnoteを書いていても、「ここはTwitterで引用RTされるかも」とか自然と意識しながら書くようになりました。

秋山Twitterではかなり頻繁にツイートしていますが、どうやったらそんなにネタが思いつくんですか?

枌谷氏:実は、ネタを考えてツイートしているわけではないんです。ただ脳内で思いついたことを言語化して吐き出しているだけなんです。なので、仕事の中の気付きや思考の量だけツイートされています。

実は弊社では、メンバーに1日10Tweetを課す、「Twitter道場」をやっているんです。目的は色々ありますが、「仕事の中の気付きを増やす」というのも目的の一つです。最初はみんなネタがなくてツイートできない。でも、仕事を通じて色々なことを経験し、その都度何かを考えているはずです。そこで考えていることは、実は他の人にとっては有益な情報である可能性があり、それを言語化するだけで、有益なツイートになる。そのことに気付き、仕事の中で学びの密度を上げるための活動です。

それに、バズを経験すると楽しくなりますよね。同業者のコミュニティに認められたような楽しさ。こうしてTwitterにハマっていく。そしてあらゆる物事を140字で考えるようになるという。

このあたりの中毒性は、ゲームと似ています。マリオカートをずっとやっていると、日常生活の中で道路を見るだけでアイテムが落ちてそうと錯覚したりしますよね。Twitterがもつ中毒性を利用しながら、気付きのアンテナを鍛えて、仕事を有意義にしていくプロジェクトなんです。

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秋山Twitter云々というより、思考力を鍛えるということにほかならないですね。

僕は、いわゆる本当の天才って一握りだと思っています。僕自身も含めて多くの人は、何かを手に入れるためには努力しかない。ステップバイステップで進めて行くしかないんですよね。

枌谷氏:まさにそうですね。でも実は僕は本当の努力家じゃないかも、とも思っています。小学生時代の夏休みの課題で年表を作ったのも、就職浪人をしたのも、BtoBにポジショニングしたのも、Twitterをやっているのも、「好きだから」「そうしたいから」が先に来ている。今のビジネスも、自分が楽しめて、世の中的にもお金になるから成り立っている。逆に僕は「これが儲かるから」「これが得するから」という理由だけではあまり動けないし、成果が出せない。なので、ビジネスパーソンとしてはあまり優秀ではないかもしれません。

Web制作は、ビジネスモデルとしては全然優れていません。でも僕は、今はWeb制作しかできないんですよね。何故なら今の自分にとって一番興味があって、面白いと思えることだから。

凡人が成果を出すには、地道に続けなければいけない。そして地道に何かを続けるには、「自分が楽しめることを知ること」が大事だと思います。誰かがそう言ったからそこに行くのではなく、軸を自分の中に持つこと。

ただ、この軸が少ないと、「本当はこれがやりたかったけれど、これでは勝てない」ってなったときに、「じゃあ、次にやりたいのは何か」が出てこないので、興味軸をたくさん持っておくことも大事だと思います。

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秋山:なるほど。枌谷さんの人生を振り返ると、説得力があります。では、最後に、枌谷さんにとってのマーケティングとは? 「Marketing is」で言うと何ですか?

枌谷氏:「Marketing is 弱者の味方」でしょうか。

例えば学生時代は、試験にしろ、スポーツにしろ、同じ評価基準で競わされ、その中で序列を付けられますよね。勝つか負けるかですし、基本的に逃げるのは恥とされがちです。でもマーケティングって単純な勝ち負けじゃないんですよね。戦わないこと、逃げることが、「頭が良い」と褒められたりします。

負けそうなら戦わないで、逃げながら自分や商材がうまく市場と調和するスポットを見つけてそこに収まる。小さい会社だから大企業に負けるわけでもなく、小さい企業ならではの生存戦略や市場との調和方法が見つけられたりする。

受験や就活からマーケティング的な学びがあったという話をしましたが、人生はそういうところがありますよね。いつも皆同じ評価基準で勝ち負けが決まるんじゃなくて、自分がやりやすく、楽しめて、世の中にも評価される、ちょうど良い場所や方法を選択していける

「それを見つけるための視点や思考こそ、マーケティングの真髄なのかな」と思っています。そして、「これはどちらかといえば、強者よりも弱者のためのもの」という気もします。

という意味での、「Marketing is 弱者の味方」なんですが、すみません、良い言葉が思いつかなかったので、適当です(笑)

秋山:本日は、ありがとうございました。