現在勤務する企業へ入社して以来、現場で働くメンバーからマネジメントを行う管理職へと徐々にキャリアアップしていく姿を思い描いてきたビジネスパーソンは多いかもしれません。

ですが、ビジネスパーソンとして生きていく上で、立場や収入を土台としたキャリアアップだけを目的とすべきなのでしょうか。

著書『えんとつ町のプペル』の映画化を控え、お笑い芸人と絵本作家の両面で活躍してきた西野 亮廣 氏は、これからを生きるビジネスパーソンには*「肩書きを捨てる」*ことが必要だと指摘します。

今回は、昨年開催された「CybozuDays2017」の基調講演、西野 亮廣 氏とサイボウズ株式会社代表取締役社長 青野 慶久 氏の "壁を超える" をテーマにしたセッションの様子をお届けします。
  

登壇者プロフィール

西野 亮廣 氏

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1980年生まれ。絵本作家。
1999年から梶原氏とキングコングを結成、2001年には「はねるのトびら」のレギュラーに選ばれ、お笑い芸人として全国に広く認知される。
2016年、絵本『えんとつ町のプペル』が発行部数32万部の大ヒット。今年10月には『革命のファンファーレ ~現代のお金と広告戦略~』を発売。

  

サイボウズ株式会社 代表取締役社長 青野 慶久 氏

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1971年生まれ。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役社長に就任(現任)。

  

”世界中のプロの絵本作家に勝つために”どうするかを考えた

西野 氏は、1999年から梶原氏とキングコングを結成。2001年には「はねるのトびら」のレギュラーに選ばれ、お笑い芸人として全国的に知られるようになりました。

ですが、その活躍の中でも自分自身のことを「スター」だと感じたことはなかったそうです。

理由は、高視聴率をとるテレビ番組に数多く出演し、自分が夢見ていた姿にはなれたものの、幼い頃に見た明石家さんまさんやナインティナインさんのような時代を動かすような影響力をスターにはなれていないという感覚からだったといいます。

「この環境でスターになってないということなら、もうダメじゃんと。追い風も吹いてるし、下駄も履かせてもらっている。全て揃っている状況にもかかわらず突き抜けられていないということは”才能がないってことですよ」(西野 氏)

続いて、以下のように口にしていました。

「”ウォルト・ディズニーを倒す”って決めてるのに、どこにつまずいているんだろうと。25歳を迎えたというのにダウンタウンさんもやっつけられていないし、ナインティナインさんも越えてないし、(北野)たけしさんもさんまさんも超えられていない。その時、痛感したのは、”要は先輩方が引いたレールを走っていても、背中に当たるだけの話”ということですね。それなら、自分でレールを作って、先輩方が鈍行で走っているところを横で新幹線みたいにズバッと行くしかないなと思ったんです」(西野 氏)

お笑い芸人としてのレールはすでに敷かれていました。ただ、いくら進んでも先を走る先輩にぶつかるだけで、それを超えることはできませんでした。

それに対して、西野 氏はお笑い芸人としての仕事を全てやめ、見付け出した1つの答えが「絵本」の制作でした。

「(絵本作家になる上で)作り方をデザインしようと思いました。”世界中のプロの絵本作家に勝つ”ということをテーマに、最低維持すべきクオリティのラインを設定しました。その上で、”世界中のプロの絵本作家に勝つために”どうするかを考えたんです」(西野 氏)
  

西野 氏が見付けた世界中の絵本作家に勝つ方法

「自分が世界中にいるプロの作家に勝てるとしたら……って考えた時に、正直、画力でも出版のノウハウもコネもツテもない、基本的にはド素人ですから、プロの人に負けてるところだらけだったんですけど、1つだけ時間なら勝ってるなって思ったんです。時間というのは1つの作品を作るのにかけることができる時間のことです」(西野 氏)

通常、プロの絵本作家は家庭を養うために安定して絵本を出版しなくてはなりません。そのため、およそ3ヵ月に1冊程度作成するのが一般的になっています。ですが、西野 氏は「(本業が別にあって)絵本作家という姿は、副業だからいくらでも時間をかけられる」と語りました。

「例えば、10年かけて1冊でもいいという発想は、決してプロの絵本作家さんにはできないことですよね。専業と兼業の大きな違いって ”時間をかけられるか否か” だと強く感じたんです。副業って無限に時間かけれるなと思ったので、ここだなと思って1番細い0.03mのボールペンを作って使って書き込みをして、物語自体も100Pにし、あえて時間がかかる作りにしました。そうすれば、世界中の絵本作家には作れない作品を形にできるなと」(西野 氏)

実際、西野 氏は『えんとつ町のプペル』の制作に、4〜5年の年数をかけています。

さらに、空のイラストを描くのが得意なクリエイター、建物の書き込みが優れているクリエイター……というように複数のクリエイターと協力し、それぞれの得意分野に合わせた分業制にすることで「最強の本」を作ることに。

参考:
絵本『えんとつ町のプペル』制作秘話公開!〈前篇〉西野亮廣とクリエイターが語る異例づくしの絵本の裏側とは?|いちあっぷ

「でも、こんなアイデアには何の価値もないと思ってます。というのも、こうしたアイデアを思い付く人というのは、世界中に1億人くらいいるはずです。でも、重要なのは ”形になっていない” という点です。そこには必ず理由があるなと感じました。絵本市場は小さく、売上が見込めないと言われています。だから制作費が出せず、今回のように複数のクリエイターを起用してというように依頼できない、だから1人で作るしかないという現実があります。ならば、どうすればそれを実現できるのかというと、お金さえあれば分業制というアイデアは実現できるんだというシンプルな答えにたどり着いたわけです。結果として、プペルを制作する上で私が最初に何に着手したのかというと、それは絵を描くことでもなく、ストーリーを書くことでもなく、会場の皆さんもご存知のとおり資金調達だったわけです」(西野 氏)

『えんとつ町のプペル』はWeb上で公開することで広く、資金を募る ”クラウドファンディング” を利用して資金調達を行っています。

クラウドファンディングでプロジェクトとして公開。西野 氏は絵本の作成のために、3,000人から1,000万円の資金調達に成功し、さらにそれに関連した個展の入場料を無料にするというプロジェクトにあたっては6,000人から4,600万円もの資金調達を得る結果となりました。

参考:
絵本『えんとつ町のプペル』成功生んだクラウド調達|日本経済新聞

そこで、西野 氏は以下のように語ります。

「既存ルールがある場合、競争した時点で負けなんだと思います。だからこそ、自分が1番都合のいい競技を作ってしまうことがポイントだと痛感しました。時代をこっちに、こっちをスタンダードにしてしまうほうがいいなと思いました。だからこそ人と同じ作り方はしませんでした」(西野 氏)

「(自分だけの競技を作って)そこで競争すればみんな金メダリストですよね」(青野 氏)

3人の子の父親である青野 氏は『えんとつ町のプペル』を、実際に子どもの読み聞かせに使っているそうです。