「メンタル」という言葉をしばしば耳にします。スポーツ、ビジネス問わず、失敗にへこたれず、努力を重ね、プレッシャーを跳ね除け、図太い神経で成功した人を「メンタルが強い」、うまくいかずに挫折する人を「メンタルが弱い」などと表現します。

皆さんは、メンタルという言葉をきちんと説明できますでしょうか?

曖昧なままメンタルという便利な一言で片づけてしまうと、成功・失敗の本質に迫れずに終わってしまいます。流行言葉のように安易に使ってしまうこのワードですが、それを掘り下げていくことで本質が見えてきます。

今回は、掴みどころのない、でもつい使ってしまう、そんなメンタルについて考えていきましょう。

メンタルという言葉の本質として「どのくらい好きか」が重要

1つ目は、取り組む対象について「どのくらい好きか」ということが重要になります。好きなことであれば頑張れるわけです。むしろ、頑張るという言葉はふさわしくないのかも知れません。好きであれば、無理をして頑張っているという感覚はないはずだからです。

働き方改革が叫ばれていますが、好きなことを仕事にしていて毎日が楽しい人に、「働き過ぎだから帰りなさい」と帰宅を促したら、その人にしてみれば逆につらいかもしれません。まさに、「好きこそものの上手なれ」という諺のとおりです。

現在、スペインで活躍するサッカー日本代表の乾選手は、2007年の高校卒業と同時に、当時私がコーチをしていた横浜F・マリノスに入団しました。通常プロ選手の練習は午前中で終わるのですが、乾選手は夕方4時ごろになってサッカースクールの子どもたちが集まる時間になっても、1人でボールを蹴っている日があったことを覚えています。

高校時代の乾選手は1日10時間以上練習をしていたと聞いたこともあります。これはメンタルが強いからできたことでしょうか?夢のために嫌いな練習を頑張っていたのでしょうか?おそらく、本気で好きだったからこそ成し得たことだと思います。これを「メンタルが強い」の一言で片づけてしまっては、本質を見失ってしまいます。

つまり、メンタルという言葉の本質として「どのくらい好きか」が重要だとお分かりいただけたのではないでしょうか。

積極的にチャレンジし続ける人を「メンタルが強い」の一言で片づけるのはNG

次に「他者からの評価を大切にしているのか?」「自らの成長を大切にしているのか?」の違いがあります。残念ながら他者からの評価は自分でコントロールすることはできませんが、努力や工夫は自分でコントロール可能です。安定したメンタルを手に入れるためには、自分でコントロール可能なことにエネルギーを注ぐことが何より大切です。

評価は他者がすることであり、自分にはコントロールできません。他者の評価によって一喜一憂するということは、自分ではコントロールできないものにパフォーマンスが支配されてしまうことを意味します。

例えば、サッカーでミスをしてしまったときは「やばい、監督からどう思われたかな」「観客からあいつ下手だと思われたかな」と不安になり、「ミスをしないように」という消極的な気持ちが先立ち、本来の力を出し切れずに終わります。

もしくは、下げてしまった評価を一発逆転取り返すために、リスキーな(一か八かの)プレーを選択し、またミスを繰り返す選手もいるかもしれません。高い評価を得たときも同様です。評価を得ることが目的ですから、それを達成して満足感に浸ってしまいます。

いずれにしても、これでは自分側に軸がなく、安定したパフォーマンスは発揮できません。これらの傾向がある人は、うまくいかないときに他人やモノや環境のせいにし、うまくいったときは自分の努力だと思いこみます。

いっぽうで、自らの成長を大切にしている人は、ミスの捉え方が全く異なります。ミスをしてしまったら「今まで気づかなかったことに気づけた」「成功へのヒントを得た」「次はこんなやり方にチャレンジしてみよう」という具合に、失敗から学び、次への意欲がますます奮い立つのです。

ミスしても動じない、それでも積極的にチャレンジし続ける選手を「メンタルが強い」の一言で片づけるのではなく、その背景には「他者の評価を気にせず、自らの成長にこだわる」「コントロールできることにのみエネルギーを注ぐ」マインドがあることに気づかされます。