糸井氏「毎日食べるわけじゃないご馳走がどんどん出てくるのじゃなくて、毎日続いても嫌じゃないものが、とても選ばれている」

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唐池氏:
西武百貨店のキャッチコピー「おいしい生活」や「生活の楽しみ展」など、糸井さんの好きな言葉の1つが「生活」だと思います。

この「生活」について、湯布院にある旅館の方に聞いた話を思い出しました。
私自身、湯布院は非日常をお客様に体験していただく・提供するものだと思っていたんですが、実は「こんな日常生活があったらいいな」というものを提供しているんだそうです。
ディズニーランドのような非日常とは違いますね。

ななつ星も「こんな日常生活があったらいいな」というのを提供していると思っています。
7両の車両に14の客室があるため「走るホテル」と言われますが、それは違います。
走る生活・走る街なんです。というのも、14組は個室で過ごしますが、食事の時は1つのダイニングカーに集まっていただきます。

これは江戸時代の長屋における井戸の前に近いんじゃないでしょうか。この時にお客様同士で仲良くなる。ホテルではありえないことですよね。

実際、デザイナーの方も車両をまちづくりという観点でデッサンしているとおっしゃってました。

糸井氏:
「夢の国にいきませんか」というお楽しみもあると思います。
ただ、日々の「ハレとケ」でいえばケの部分が一番嬉しいものでありますようにというのが「生活」という言葉で表現したい場所なんです。

1981年に「おいしい生活」というコピーを考える前に「おいしい生活」の雛型を見た覚えがあります。それは、今はもう亡くなった西武流通グループの堤清二さんから、打ち合わせが始まる前にご飯をご馳走してもらった時のことです。

西武百貨店本社の中にある食事スペースに普通に美味しく炊いたご飯と普通の味噌汁と、干物が置いてありました。ちょっと気の利いた旅館の朝ごはんみたいなものなんです。

これを見た時に、毎日食べるわけじゃないご馳走がどんどん出てくるのではなくて、毎日続いても嫌じゃないものが選ばれているんじゃないかと思いました。
そこで、自分に自由が手に入るとしたら そういう方向に行きたいんだろうなと思ったんです。

唐池氏:
究極の楽しみや喜びというのは生活にあるんじゃないかと思いますよね。

糸井氏:
一番多く時間を過ごしているのは、人間として生活している時間です。
今までは仕事の現場がどれだけ興奮を作ってくれるかに過剰に重心いっていたと思うんです。でも、これからは何で仕事をしたかとか、どういう魅力的な仕事をしたかだけでなく、ただの人としてどれくらい素敵だったかが大事になるんじゃないかと。

唐池氏:
多分それは1981年に「おいしい生活」というキャッチコピーを作った時にすでに気づいてたんですね。生活こそ一番の人間が求めるものだと。

糸井氏:
一番人間を短く言うと。、ただ生きて、死んでいくかだけなんですね。そこが「よかったなぁ」と思えるかどうかが大切です。
例えば葬式の時に「こいつはノーベル賞を取ったから葬式に行くべきだ」ではなく、「こいつだから葬式に行く」みたいな人でありたいなと思います。

そして、自分もそうだし、人々がみんなこの方向に向かう時代になっていくんだろうなぁと感じています。この思いを持って、今まで色んなことをやってきました。
ここを軸に考えると、メディアは「作るもの」だと思います。

例えば人が集まる井戸を作ることもメディアを作ることなんです。大袈裟に言ってしまえば、砂漠の井戸もそうなんですよ。みんな水を求めてやってきますから。
もし町内で誰かが犬を飼ったら、その犬を中心とするメディアが出来上がります。

さらに、メディアはコンテンツを呼び寄せます。
犬を飼っていたら「おたくのワンちゃんにこのおもちゃ買ってきたんだけど」と声をかけられるかもしれません。それは犬というメディアの中に、おもちゃというコンテンツが投入されたということです。

今までは5大メディアの売り買いが一番ビジネスにとってわかりやすいので、そちらが進化してきました。ただ、インターネットが発展して、このようなメディアのあり方がわかりやすくなっています。
インターネット上でお手本がいくらでも見られるようになったので、「メディアは自分ですぐ作れるんだよ」というのが実感できるようになったと思います。