ferretをご覧の皆さん、こんにちは。谷口マサトです。

子どもが言い訳をすると、問答無用で「言い訳するな!」と怒っていませんか?実は多くのコンテンツは「言い訳」でできています。下手に言い訳を封じると、クリエイティブ能力を発揮する機会を奪う可能性があります。

第3回目のテーマは「おもしろい言い訳をしよう!」です。

これまでの記事を読んでいないという方、改めて復習したいというかたは下記よりご覧ください。

参考
Lesson1「教科書に落書きしよう!」 - 1億総作り手時代に"子どもがクリエイターになる練習ドリル" -
Lesson2「イメージ記憶術を身に着けよう!」 - 1億総作り手時代に"子どもがクリエイターになる練習ドリル" -

「一休さん」の話にはよく”言い訳”が登場する

トンチで有名な「一休さん」の話にはよく言い訳が登場します。和尚が大切にしている茶碗を割ってしまった一休さんは、出先から帰ってきた和尚と次のような会話をします。

一休「人の生死、これ如何(人は誰でも死ぬのか?)」
和尚「諸行無常。必ず死す」
一休「物の消滅、これ如何(物は必ず壊れるのか?)
和尚「形あるもの必ず滅す」
一休「和尚、形ある茶碗が先ほど滅しました」
和尚「・・・」

次の「水あめ」という話では、言い訳を積極的に利用します。

和尚さんは大好きな水飴を「毒」だといって小僧たちに食べさせませんでした。和尚が外出したとき、一休は水飴を全部食べてしまい、さらに和尚の大切にしていたツボを壊します。そして和尚が帰ったときに泣いたふりをしてこう言います。

一休「大切なツボを割ってしまったので、死のうと思って毒を舐めましたが一向に死にません。だから悲しくて泣いています」
和尚「・・・」

和尚さんも大変ですね。

「サザエさん」のカツオもたくみな言い訳?「オデュッセイア」も言い訳で作られた?

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引用:ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫) | Amazon

同じように「サザエさん」も、カツオの巧みな言い訳がよく登場します。日本だけでなく、古代ギリシアの名作『オデュッセイア』も言い訳で作られたという説を、小説家の塩野七生さんが唱えています。

この物語は、英雄オデュッセウスがトロイア戦争で遠征した後に、故郷に帰るまでに様々な化け物や苦難にあって20年以上も妻の元に帰れなかったという話です。セイレーンという人魚にも誘惑されて殺されかけたといいます。

ところがこの英雄が行った場所は当時の観光地であり、遊女はいますが化け物は存在していません。戦争に勝ってテンションが上がっているうえに、出張先で自由。どうも、家にまっすぐ帰りたくなかったようなのです。

しかし20年も家をあけたので、それなりの言い訳が必要です。そこで英雄オデュッセウスが妻に嘘八百を並べた結果、名作『オデュッセイア』が誕生したのではないかという説です。

このように様々なコンテンツで「言い訳」が登場するのは当然で、言い訳には物語の要素が詰まっているのです。物語の「起承転結」は、基本的に次のように構成されています。

起:主人公には大切な目的がある
承:ピンチによって目的が達成できなくなる
転:なんとか主人公はピンチを切り抜けようとする
結:おもいがけない方法で、主人公は目的をかなえた

これは出勤に遅刻して言い訳する場合にもあてはまります。

起(目的):主人公は定時に出勤しなくてはいけない
承(危機):寝坊してしまった
転(格闘):遅れた言い訳を考えようとする
結(解決):ネットで調べた電車の遅延情報で、なんとか言い訳できた

普通の言い訳ですが、みなさんのこれまでの経験で、さまざまな奇妙な言い訳を聞いたことがあるのではないでしょうか。人は言い訳するとき小説家になります。遅刻したときには親族が突然死したり、おもわぬ事故に巻き込まれます。これも言い訳が、物語の創作を誘発する構成になっているからだと思います。

あるいは、言い訳している状況は当人にとって生命や信用の危機状況なので、「ご主人やばいで」という雰囲気を察した本能が、全力で言い訳作業をフルサポートしてくれるかもしれません。