「いつか自分のアイデアを事業化したい」と、新規事業の実現を目指して働いている方もいるのではないでしょうか。企業の風習によっては、“若さ”や“経験の少なさ”が課題になることがあり、入社して間もない時期は修行期間だと割り切らなければならないこともあります。

ただ、いざ新規事業を立ち上げられる立場になった時、自分のアイデアを具体化できるイメージを持てているでしょうか。
アイデアを事業に落とし込み、しかも成功にまで導くのは至難の業です。アイデアを成功する事業に育てるには、何をすればいいのでしょうか。

ソニー株式会社に、当時入社1年の若手でありながら新規事業を成功に導いたリーダーがいます。
同社のスマートウォッチ「wena wrist」のプロジェクトリーダー、對馬哲平(つしま てっぺい)氏です。

今回は、對馬氏に「wena wrist」のプロジェクトを立ち上げた背景から、事業化にあたっての課題や展望を伺いました。自身のアイデアを事業化したいと考えている方は、参考にしてみてください。

目次

  1. 入社1年目の終わり頃ソニーの新規事業「wena project」を発足
  2. 社内コンテストに挑戦したキッカケは「自分のタイミング」と「社会のタイミング」の一致
  3. クラウドファンディングでは当時日本一「2ヶ月で1億円の支援」を達成
  4. 商品開発の軸は「時計の感性的な価値」「スマートウォッチの機能的な価値」
  5. 大企業における「新規事業の難しさ」当時感じた課題とは
  6. wenaの世界観を伝えるための計画的な ブランディング施策
  7. 泥臭い仕事にこそ マーケティングの真実がある
  8. まとめ

入社1年目の終わり頃ソニーの新規事業「wena project」を発足

sony-wena_-_2.jpg

ferret:
スマートウォッチ「wena wrist」のアイデアは、いつ頃からあったのでしょうか?

對馬氏:
wena wristは、もともと学生時代からのアイデアでした。アイデアスケッチなども描いていて、それを事業化したいと考えながら就職活動をしていたんです。そこでソニーへ入社することを決めました。入社時、ちょうどソニーの「SAP(Seed Acceleration Program 新規事業創出プログラム )」が発足したこともあって、選考オーディションに応募したという流れです。

ferret:
「SAP」とはどういう制度なのでしょうか?

對馬氏:
「SAP」は、社内ベンチャーのような制度で、既存事業 ではどこで扱えば良いかわからない話(事業)を実現する試みです。

オーディションを受けて通過すると、育成期間があり「ビジネスとしての確かさ」を3ヶ月〜半年かけて検証して、筋が良さそうなら「事業準備室」に進むことができます。ここで、初めてメディアにオープンにできるので、クラウドファンディングやプレスリリースで露出できるようになるんです。

社内コンテストに挑戦したキッカケは「自分のタイミング」と「社会のタイミング」の一致

sony-wena_-_3.jpg

ferret:
SAPのオーディションに挑戦したキッカケはなんですか?背景などを教えてください。

對馬氏:
配属されたソニーモバイルでは、入社後に3ヶ月間「好きなものを作りながら、業務に必要な知識を学ぶ」という研修があるんです。自分の業務範囲であればなんでも良いという条件だったので、アイデアを形にしてみようとwena wristの原型となるプロダクトを作りました。

当初イメージしていた以上に作ることができたので、事業化を狙えると思いました。研修後に仲間を集めてオーディションに出し、12月頃にオーディションに合格、そして、入社1年目の終わりである3月頃にメンバーとプロジェクトを発足しました。

ferret:
入社1年目ですか!?学生時代のアイデアが非常に早い展開で進みましたね。

對馬氏:
そうですね。一般的に大企業では3~4年は量産や開発の下地を身につける期間だと思いますし、自分自身も3年間は下地を身に着けて、4年目で挑戦しようと計画していたんです。というのも、ハードウェア系のスタートアップなど、「量産」の段階で失敗することが多いじゃないですか。なので、修行期間のつもりだったんです。

そんな中、スマートウォッチの業界では、Appleの「Apple Watch」やサムスンの「Galaxy Gear」が登場し、注目を集めていました。なので、「今ここで勝負しないと戦うことさえ難しくなるのではないか」と思い立ったんです。

新しい事業を起こすには「自分のタイミング」と「社会のタイミング」がちょうど重なったタイミングで勝負することが一番理想だと思います。たまたまドンピシャに自分のタイミングが重なれば良いですが、そのタイミングが一生交わらない可能性もあります。経験もない中ですごく迷いましたが、結果としてほんのすこしだけ重なったタイミングでSAPのオーディションに挑戦しました。

クラウドファンディングでは当時日本一「2ヶ月で1億円の支援」を達成

sony-wena_-_4.jpg

ferret:
そこで見事にオーディションを通過したから現在があると思うのですが、当時の社内の反響はいかがでしたか?

對馬氏:
こういう事業を立ち上げるとき、賛否両論が付き物ですよね。「本当に売れるの?」とか色々指摘をいただくこともありました。でも、そういう質問って意味ないじゃないですか。完璧な答えを知ってる人はいないわけですから。

もともとこのアイデアは「自分が欲しかった」から考えたものだったので、世間に受け入れられるかというのは、わからなかったんですよね。なので、自分の感覚と世間の感覚とマッチしていたら受け入れられる。そうでなければ、駄目だっただけの話です。

そこで、世間の感覚を知りたいと思って、クラウドファンディング「First Flight」でプロジェクトを公開してみました。すると、2ヶ月で1億円の支援が集まったんです。当時の日本一の記録を達成しました。そこで、私と同じように世の中に欲しいと思ってくださる方がいることを実感しました。

クラウドファンディングで達成した事実が存在するので、その段階になると社内、社外問わず話が通りやすくなりました。実績がでた後、信用が得られやすくなった面は多々あります。

ferret:
1億円調達のインパクトはかなり大きいですね。クラウドファンディングで達成後、当初の見込みと異なるギャップはありましたか?

對馬氏:
ありましたね。
クラウドファンディングの特性上、商品はWeb上でしか見られません。
wena wristは、5万〜6万円の商品なので、実物を見ないで本当に買ってくれるのかなと疑問だったのですが、その支援額をみてギャップを感じました。

それに、買ってくれるお客様も想定と違い、興味深いものでした。もともと、「自分が欲しい」からスタートしたプロジェクトだったので、自分と同世代の20代後半の方に買っていただけると思っていたんです。しかし、実際は30代〜40代の方々でした。

お金に余裕があるのか、独身なのか……あっ、既婚者の方が多かったですね。その年代の方々は、「モノとしての価値」に好意を持ってくれると感じています。例えば、金属や革など素材の細かな種類や、設計のこだわり、スマートウォッチとしての機能性など。そういう価値をwena wristに感じて支援、購入してくださる方がメインですね。

商品開発の軸は「時計の感性的な価値」「スマートウォッチの機能的な価値」

sony-wena_-_5.jpg

ferret:
クラウドファンディングの成功をはじめ、wena wristが急速に注目を集めた要因は、ご自身としてどう分析していますか?

對馬氏:
色々な要因があってこそだと思うのですが、一番は同様のスマートウォッチが世の中にほぼ無かったことですかね。スマートウォッチというと、文字板の部分がディスプレイになっているタイプが主流でしたが、wena wristはバンド部分にスマートウォッチの機能を埋め込んだ点が注目を集めました。

他にも、「大企業ソニーがクラウドファンディングを行う」「若手社員がプロジェクトを発足」などメディアとして注目を受けやすい要素もあります。

ferret:
たしかに、既存のスマートウォッチは文字板がディスプレイになっていますよね。そこでなぜ、バンドに機能を搭載したスマートウォッチを開発したのでしょうか?

對馬氏:
もともと、自分は腕時計とスマートウォッチ両方好きで、両腕に着けていたんです。腕時計には、機械式腕時計をはじめ時計としての「感性的な価値」に魅力を感じ、スマートウォッチには「機能的な価値」に魅力を感じていました。

しかし、両腕につけると、社会的に奇妙な目で見られるじゃないですか。2つの価値を身に着けたいのに、社会がそれを許してくれない。その悲しさから生まれたスマートウォッチなんです。

それに、スーツを着たビジネスパーソンや、会社の規則で「アナログ時計」しか身に着けられない方もいらっしゃる。そういう方の中にもスマートウォッチに価値を感じている人がいると思いました。

sony-wena_-_6.jpg

wenaという名称は「Wear Electronics Naturals」の略で、「人々にもっと自然に、違和感なく、ウェアラブルデバイスを身につけてほしい」というコンセプトで作りました。その中の「wena wrist」はあくまで1つのラインナップです。今後も様々なウェアラブルデバイスを検討していきたいです。

伝統的なアナログ時計って、パーツに装飾的な意味合いでマイナスネジが使われていることが多いんですね 。実用面では精密ネジのほうが固定しやすいのですが、伝統を踏まえてマイナスネジを採用したり、ヘアライン加工の仕方とか細かなところも「自然に身につけられる」ことを意識して開発しています。

大企業における「新規事業の難しさ」当時感じた課題とは

ferret:
wena wristの開発にあたって、大企業ならではの新規事業のハードルはありましたか?

對馬氏:
ソニーだったら、社内の技術力と予算を使って新しい事業ができると思う方も多いじゃないですか。でも、現実は違って、社内のどこかの部署に頼り切るということは、そこに決定権を握られるということになります。すると自由が無くなってしまうんですよね。

こちらから、何か与えられる場合は「Win-Win」の関係になるから良いのですが、何もない場合は、必ず距離を保ちながら接しないと身動きが取れなくなる可能性があります。甘い果実が目の前にあって、全部食べていってしまいそうになるのですが、そこは我慢して、自分たちの力で進めることが大切です。もちろん、適度な距離感を保ちつつ支えてもらうことは多々あります。

ferret:
そうだったのですね。限られたリソースで製品化までを行ったとのことですが、wena wristのプロモーション施策にも工夫があるのでしょうか?

對馬氏:
広告はほとんど予算をかけず、Web上で行っていました。プレスリリースの配信など一般的なことは行っています。wena wristのラインナップの戦略として、バンド部分にスマートウォッチの機能を搭載していること訴求するために、バンド1つに対して文字板が2個着くキャンペーンを行いました。これは、現在行っているバンドと文字板の単品販売に繋がります。

wenaの世界観を伝えるための計画的なブランディング施策

ferret:
予算を使わずにWeb施策やキャンペーンをされていたんですね。

對馬氏:
はい。その他にも講演からコラボレーション先の企業と繋がることもありました。ファッション業界にはテック系の商品を作りたいという方もいらして、そういう人たちのために「ウェアラブルやIoTはどういうものなのか」という勉強会をメディア様と一緒に開催したり。

すると、自然とファッションブランドの方々と繋がれるのでコラボすることがありました。電機業界に身をおいていると、ファッション業界の人とは接点がないんですよね。そういう講演や勉強会をすると集まっていただけました。

ferret:
そうだったんですね。認知を広めるために行った事例はありますか?

對馬氏:
イベント開催をしています。「おもいでの時計展」というのですが、バンド単品で発売したことに絡めて開催するイベントです。結婚祝いで貰った時計とか、形見の時計とかあるじゃないですか。今はスマートフォンで時間がわかるから、徐々に使われなくなる。

そういった時計にwena wristのバンドを着けると、最新の電子機器となって蘇る。これを機に、使わなくなっていた思い出の時計を使ってもらえればなと思って開催しました。家電製品って2年くらいで買い換えることが多いじゃないですか。でも、いまでも使いたいものがあるのにスペックが古くなって使えなくなってしまう。それは悲しいなと思うんです。財布や万年筆みたいに長く愛着を持って使用していただけるものになればと考えています。

ferret:
とてもニーズがありそうですね。でも、なぜバンドの単品発売をリリース時に行わなかったのはなぜでしょうか?

對馬氏:
もともと発売する段階を計画していたんです。というのも、wena wrist発売となったときバンドだけ売っていても「これはなんだ?」となります。もちろん、バンドだけのニーズはあったのですが、事業を行う上で「あなただったらバンドだけ売りますか?」と聞いたら多分違うと思うんです。「wena wrist」の完成品として、お客様に見せないといけないんです。

アクセサリーの“付属アクセサリー”を売るわけじゃないですか。それを売るのって、商品の認知度が無いとすごく難しいんです。「完成品」として買えないわけですから。なので、最初はwena wristとしての完成品を買えることを伝えるために、レファレンスモデルとしてwena wrist専用にデザインされた腕時計部分も一緒に発売しました。

ある程度、バンド部に機能があるスマートウォッチという認知度が高まってきたので、バンド単品の発売を開始しました。ここからは、「選べるスマートウォッチ」としての世界観にシフトしようという段階になっています。これは、開発当初から計画していました。

泥臭い仕事にこそマーケティングの真実がある

sony-wena_-_7.jpg

ferret:
「wena」の世界観を展開していくために、考えていることはありますか?

對馬氏:
このプロダクトって決して万人に受け入れられるものではないと思うんですよね。なので、いまも「本当に好き」という熱心なファンの方々に支えられています。なので、アクションカメラの「GoPro」のようになりたいと考えています。GoProも「自分がサーフィンしている姿を撮影したい」というところから始まり、熱心なファンからのニーズに応える形で、スキーやバイクなど様々なスポーツに向けた拡張性を増やしていった背景があると聞いているので共感しています。

ferret:
たしかに、熱心なファンの期待に応えるのは重要だと感じました。ファンを育てるために心がけていることはありますか?

對馬氏:
Twitterで「wena」に関して頻繁に投稿してくださるお客様に対して、ダイレクトメッセージを送ったりして、アンバサダーイベントを開催しました。そこにwena projectのエンジニアにも同席してもらって、実際にwena wristを分解したり、使っている部品などに触れてもらったんです。また、限定のTシャツを提供してさらに好きになってもらおうと心がけています。非常にマニアックなイベントですが、お客様の満足度は非常に高かったようです。

アンバサダーの中の1人がブログで「会いに行ける新規事業」って書いてくださったんです。たしかに、大きな企業や組織になるほど、「開発者とお客様」の接点が希薄になってしまうなと気づきました。

ferret:
たしかに、「誰が作ったか」というのは消費者視点で知らない事が増えてきました。その他に、心がけていることはありますか?

對馬氏:
アンバサダーイベントの時だけでなく、「wenaについて困ったことがあれば聞いてください」というスタンスでTwitterに返信したりお客様と交流したりしています。やっぱり、地道で泥臭いところに商品開発やマーケティングの真実があると思います。

いままで、マーケティングとか聞くと予算をつぎ込んで華やかに行うイメージがあったのですが、イベントやTwitterでのお客様との関わりを経て、そういう泥臭いところが本当に大切なことなんだなと実感しました。なので、出来る限りwenaを好きと言ってくださる方の近くに居たいと思っています。

もちろん、大企業の広報としての役割も含まれるため、リスクが大きいのも確かです。でも、そういうのを許容してくださるお客様に感謝していますし、ソニーに会社としてサポートしてもらえるのは非常に嬉しいですね。

まとめ

對馬氏がwena wristを構想したのは「世の中にまだ無く、自分がほしいと思ったモノだった」というのがキッカケでした。一般的に、作り手のアイデアを実現するプロダクトアウトの発想は、ニーズ優先のマーケットインと比べて市場へのアプローチが難しいといわれています。

スマートウォッチが台頭したことや、クラウドファンディングを通して「社会のタイミング」を感じ、事業を成功に導きました。

また、事業化当初は、大企業ならではの人間関係や、低予算でのブランディングなど課題もあったそうです。その中で、地道な施策を行うことで現在に至ります。

對馬氏とwena projectからは、「アイデア」を「事業」に昇華するための学びが得られます。ぜひ、新規事業立ち上げに向け、1つのロールモデルとして参考にしてみてはいかがでしょうか。