流れるように読める文章とは?

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ferret:
テレビ的な見せ方をするために、他に工夫していることはあるのでしょうか?

岡山 氏:
じつは文章の書き方にもテレビ的な工夫を試しているんですよ。最近執筆しているnoteやダイヤモンドオンラインでの寄稿記事で実践していることなのですが……。

参考:
個の時代に消費されない「ドア型人材」という生き方|岡山史興|note

例えば、中見出し。普通はまず頭に中見出しがあって、ワンセクション終わったら次の中見出しがあって、また文章が始まるって流れになっていると思います。

ただ僕がテレビ的にしようと思っているのが、この中見出しを1個を文章の中に組み込んじゃうというやり方です。例えばテレビだと、「何とかの続きはCMのあと」みたいな形でCMに入って、CMが終わればそのまま続きが始まっていきます。

あの役割が記事だと中見出しだと思っていて、文章の続きをそのまま中見出しにも組み込んで、インパクトをつけていくような感じです。

そうすると、流れるように文章を読めるんですよね。ただし、流れるように読ませるために、中見出し自体を外してしまうのは違います。やっぱり区切りは必要なので。でも区切りはあるけれども自然に話が入ってくる、というのを最近はnoteで試していますね。

「シェアされる記事」と「読まれる記事」は違う

ferret:
SEOを意識すると、見出しにはキーワードを積極的に組み込んで話を区切っていくようなことが多いと思いますが、それとは異なる考え方ですよね。

「テレビ的な文章を書く」という発想はどこから生まれてきたのでしょうか?

岡山 氏:
僕はこれまで、あるニュースアプリをはじめ、様々なテクノロジー企業の立ち上げやグロースに関わってきたのですが、その時の経験を元に、自分のコンテンツに落とし込んだらどうなるのだろう?と思い、色々試行錯誤しながらやってきた完成形が今の形です。

結局これらが何につながるかって言うと、「シェアしてもらいやすさ」なんです。シェアされる記事と読まれる記事って全然違うんですよ。PVを集めるだけだったら、SEOタイトルワークで十分かもしれません。でもそれが「人の心を動かすか」と言われると、やはりそうじゃないことが多いです。人の心を動かせたかどうかで言えば、「シェアされたかどうか」の方が大切な指標なのではと思います。

「どうしたらシェアされるのか」を考えた時に、中身を読まれないシェアは意味がない。まずはタイトルやディスクリプションなどの入り口があって、その次にコンテンツの品質があります。入り口だけ良くても読まれないし、中身だけ良くてもたどり着かない。入口のハードルを下げつつ、中身はしっかりとしたものでなければいけません。

そのための手段として、動画コンテンツを使って入り口を広げたり、テレビ的な見せ方・書き方をして中身を読んでもらう工夫をしていますね。