「旅するマーケター」西井敏恭が、マーケティング分野で注目の人物にインタビューをする連載企画。

第3回は、ライフスタイル提案メディア「Locari」を運営する株式会社ワンダーシェイクのCEO、鈴木仁士氏にお話をお伺いしました。

ワンダーシェイクは、鈴木氏が大学4年の2011年に設立。現在地の近くにいる人と共通の趣味や関心を通して出会うことができるサービス「ワンダーシェイク」をリリースし、注目を集めます。

現在は、ライフスタイル提案型のメディア&アプリ「Locari」を運営。サービスリリースから急成長を続けています。

高3のとき「金持ち父さん貧乏父さん」を読んで金融を意識

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西井:現在おいくつなんですか?

鈴木:27歳です。

西井:会社を作ったのは学生のときということですが。

鈴木:大学4年生で会社を作りました。21歳のときです。

西井:周囲で起業されている人が結構いたんですか?

鈴木:全然いませんでしたね。僕、海外に10年くらい住んでいたんです。

親が総合商社に勤めていて、2歳でナイジェリアに行きました。2年くらいで日本に帰ってきて、小学4年生のときにロンドンに行きました。
ロンドンには6年間いました。

西井:クラスメイトに日本人はいたんですか?

鈴木:学校に1人いるくらいですね。まったく英語ができない状態で行ったので、結構辛い思いをしました。

ロンドンにはいろいろな人種がいるじゃないですか。そういう環境で多感な時期を過ごしたということもあって、世界を意識するようになりました。
日本で仕事をするということを思ってもみなかったという。

西井:海外で仕事をしようと思っていたのですね。

鈴木:親の駐在が5年間と決まっていたので、高校は日本に戻ろうということになりました。高校は帰国子女が多い国際基督教大学(ICU)高等学校を選びました。
自分はイギリス英語だったんですが周りはアメリカ英語で、コンプレックスを感じていました。結局高校3年間でアメリカ英語になったんですけどね(笑)。

高校3年生のとき、いろんな本を読んでいたんですが、たまたま「金持ち父さん貧乏父さん」を読んで金融の世界を知りました。
投資銀行は資金運用をするみたいな。そういう世界を初めて知っておもしろいなと思いました。最短で稼いで、30代40代から余生を楽しもうみたいな感じで。

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西井:10代で「金持ち父さん貧乏父さん」を読んだんですよね。僕読んだの、30代半ばですよ。その時点で10数年出遅れている(笑)。

鈴木:高校3年生のときは、やりたいことが決まっていなかったので、そのままICUへ推薦で入学しました。大学に入ったら経済や金融を学んで、ゴールドマンサックスなどの外資系投資銀行に就職しようと思っていたんです。

まだリーマン・ショック前で、そういう職業が花形みたいな感じでしたし。

西井:鈴木さん本人としては、挫折とかあったと思うんですが、普通に見たら超エリートですよね。とりあえずICUみたいな。
普通、ICU入るのはすごくたいへんな気がするんですが。

鈴木:ICUは帰国子女で英語ができれば、たいてい入れますよ。

カンボジアの若い人たちは幸せそうに見えた

西井:僕の高校の同級生でクラスで一番成績がよかった友だちは、ICUでした。今、すごいちゃんとした大企業に勤めています。
ICUの出身で起業しているというのは結構珍しいですよね。

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鈴木:僕も知り合いにはいませんね。NPOをやっている方はいますけれど。大学入学当時は、最初金融業界、投資銀行に行こうと思っていました。
大学1年生のときは勉強しかしていませんでしたね。ただ2008年に入学したのですが、その年にリーマン・ショックがあって。

大企業も安定していない。投資銀行はさらに不安定。そもそも金融自体実態のない商売をしていたことにも気づきました。
そもそも、何のために自分はそういうお金稼ぎをしたかったのか?初めて考えました。そこから悶々とする日々が始まるんですが。

西井:多感な環境にいたから、深く考えていますね。
大学のときにそんなに勉強したの、ここにいる人のなかで、一人だけですよ(笑)(ワンダーシェイク鈴木、インタビュアー西井、ferret編集長飯髙、カメラマン三浦で失笑)

鈴木:座学だけですけど。授業出てるみたいな感じで。それで読書して。
そのとき読んだのが「リーダーシップの旅」という本です。自分の人生で一番影響を受けた本ですね。

リーダーになりたいと思ったことは1回もないんですけど。リーダーシップとは、リーダーになる人が自分でやりたいことを見つけて、追求し続けて、その結果人がついてくる。
社長になりたいから社長になるわけではなく、結果としてなるものだと書いてあったんです。

確かにそうだなと気付きまして。自分は好きなことがあったりとか、一番になりたいとか、追求したいものがその時ないなと思いまして。
まずはそれを見つけようと純粋に思って、それが転機でしたね。

西井:多くの経営者がバイブルになる本ってありますよね。

鈴木:同時期に、ルーム・トゥ・リードという、元マイクロソフトの幹部が作った、途上国に教育を提供するNGOの存在を知り、ベトナムとカンボジアを1週間くらい旅行しました。

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目的は、現地の人たちにどういった課題があるのかということのヒアリングです。カンボジアで若い女の子たちがたくさんいるんですが、みんな学校に行っていない。

でも、すごく楽しそうにしているんです。普通に幸せそうなんです。途上国の方々って明らかに日本の大人よりいい顔をしているんですよ。
「カンボジアが好き?」と聞くと、みんな即答で「故郷だから大好きだ」というんですね。とてもシンプルな理由だなと。

日本人の若い人に同じ質問をしたら、絶対そういう答えは返ってきませんよね。日本を好きでも嫌いでもないって感じじゃないですか。
カンボジアの若い子たちと話していて、素直で余裕を持って生きているなと思ったんですよ。それは何かなと考えたら、リアルな繋がりがあるからかなと思いまして。
人が毎日出会って話す。そういうところが人の豊かさ、心の豊かさみたいなものを生み出しているんだなということに気が付いて。

当たり前といえば当たり前なんですけど、結構ショックを受けて。
こういう新しい出会いとか驚きというものを提供できるサービスや事業をやっていきたいと思ったのが大学2年生のときでした。

西井:私も多くの国に行ってますが、途上国だからといってそこに住んでいる人が不幸せかというとそうでもなくて。
むしろ1日1日が楽しんでいるなと思います。

鈴木:当時、ビジネスサークルを運営していて、ベンチャー企業の社長にインタビューをするという企画をやっていたのですが、そのとき出会ったのが藤沢烈さんです。
藤沢さんと話をしていて、自分はこういうことがしたいと言ったら、その言葉の意味は何?というように全部分解していったんです。

そうしたら、自分の言葉で全然説明ができない。本を読んだり、人から聞いたことを言っているだけということに気付きまして。自分で体験をしていないんですね。

それをきっかけに、ルーム・トゥ・リードを支援するようなイベントを始めました。イベントの資金は全部チャリティで、1回で30万円くらい売り上げがありました。
売り上げは全部寄付していました。それを何回かやって。

大学3年生の割にはよく稼いだビジネスを作ってたなと思います(笑)。

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その後、カリフォルニアのサンディエゴの大学に1年間留学をしました。勉強が目的ではなく、ビジネスをしようと思って。座学はもういいやと。

当時、アメリカにあった好きなWebメディアを訳したブログを運営して、メディアっぽいことをやっていました。
それをTwitterで流すとフォロワーが増えていくと、いろいろなところから声がかかるようになりました。

Twitterは、新しい繋がりがバンバン生まれるんですよね。すごくネットライクなサービスだなと思いました。
自分が発信している情報を元に、他人と繋がることに感動をして、そこから人と人を繋げるサービスをWebでできないかと思い始めました。
それから、シリコンバレーに行っていろいろな方にお話を伺って。

現地にいる日本人の起業家の方は、お金を稼ぎにきているのではなく、産業や世界を変えるために頑張っているんです。

西井:僕も、Twitterが出たときは感動していて。

FacebookはFacebookで「リアルを繋ぐ」という価値はあると思いますが、Twitterのほうが衝撃でしたね。
大学生のときに、そういうことを感じているという感度の高さがすごいですね。

僕、大学生のときにまったくそんなこと考えてなかったと思います(笑)。

鈴木:シリコンバレーで、現地で起業している日本人の方と会食をする機会がありまして。

自分のアイデアを話したら、「君は絶対にアメリカで起業したほうがいい」と言われまして。
英語ができる日本人が少ないこと、ネットで勝負するならアメリカのほうが向いていることなどがその理由でした。ちょうどiPhone3GSが発売されたくらいのときだったと思います。

当時、Forsquareのようなチェックイン系のサービスが流行っていまして、そのチェックイン情報とFacebookの情報を掛けあわせて、お互いに今ここにいるという状態を可視化して人を繋げてコミュニケーションができるサービスを作りたいと思いました。

それがワンダーシェイクという、会社設立当時に手がけていたサービスです。それを作りたいと考えたら日本よりアメリカのほうがウケると思っていました。
それで、留学が終わり日本に帰ってきて、起業の準備を始めます。大学4年生のときですね。

西井:そのときはもう就職するつもりはなかった。

鈴木:ありませんでした。ゼロから自分でやりたいと思っていました。

21歳で起業したときが一番のピーク

西井:それで21歳で起業をしたと。

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鈴木:そうです。20歳で日本に戻ってきて、デジタルガレージさんが運営する「オープンネットワークラボ」というインキュベーションスペースに入ったのが2010年の冬になります。
そこでチーム集めをしながらサービスのプロトタイプを作りつつ、メンタリングを受けるということをやっていました。

僕はプログラミングもデザインもできないので、メンバー探しが一番大変でしたね。
それでどうにか、イベントでプレゼンできるくらいのバージョンができたので、テッククランチさんの「Teclosion」というイベントに出たら優勝したんです。まだサービス完成してないんですが(笑)。

結構高評価をいただきまして、いろいろなメディアに出させていただいて。WBSに出たりもしました。それが我が社の一番ピークの時期ですね(笑)。
その後、投資家さんから4,000万円くらいの資金調達をして、アメリカに行って。一軒家を借りて創業者の5人で起業するぞと思っていたんです。

西井:なぜ、今日本にいるのかということになるんですが。

鈴木:就労ビザを申請して落ちたんです。5人全員。完全にアウトですよね(笑)。

書類審査受かったら大丈夫と言われていたんです。投資家向けのビザを申請していたんですけど。
書類選考を通ったら絶対面接はスルーするからと言われていて。それでいざアメリカの大使館に行ったら、通せませんと。

かつ、移住する意思を見せているので、君たちは当分アメリカに入れません、なんならESTAを剥奪しますみたいな。

西井:ほんとですか(笑)。

鈴木:書類選考受かった時点で、絶対アメリカに行くと思っていたので、家を解約していたメンバーもいたんですよ(笑)。

西井:ほんとうにギリギリのタイミングでNGになったんですね。

鈴木:当日お別れ会があったメンバーもいました(笑)。

そこから我が社の冬が始まりました。一瞬メディアで取り上げられて、投資家の方がやってきて。要は調子に乗って舞い上がっていたんですね。

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西井:それで、今まで考えてきたことは全部ダメですね。

鈴木:しかも、親会社はアメリカに作ってますし。

ファイナンスしたお金、全部向こうの口座にドル建てで置いてあるんですよ。そこから暗黒の時代に入ります。
日本にいづらかったので、シンガポールに1ヶ月経営合宿に行きました。22歳のときですね。

西井:世の中の同年代の人たちが就職しているなか、すでに一山来て、終わって、シンガポールに逃げようとしている(笑)。

鈴木:23歳の4月はシンガポールにいました。遅い卒業旅行ですね。
当時もワンダーシェイクを展開していたのですが、サービスとして難しかった。日本だけじゃなくて、アメリカでも難しかったと思うんですけど。

このモデル、デーティング以外でまだ存在していなくて。それこそpairsやカップルズとか近いと思うんですけど、それらは一応出会い系じゃないですか。
うちはもっとカジュアルに、出会いじゃなくても使えるというのを作りたくて。そうなると、ユーザーのモチベーションが若干弱まるというところと、ニーズが顕在化していない。
プラス、アプリを使っている人同士がリアルタイムで同じエリアにいるということが難しかった。

100億円あって、5年間くらい超優秀なメンバーを集めてマーケティングをしたらいけたかもしれませんが、当時はそんな経験もなく、現金もなくなってきますし。
そこで、ワンダーシェイクからはピボットしようと決めました。

ワンダーシェイクの失敗から「tsudoi」をリリース

西井:ワンダーシェイクというサービス自体は今はどういう状態なんですか?

鈴木:今は落としています。
そこからイベントをフックにコミュニティベースでユーザー同士が繋がるサービス「tsudoi」というサービスを2012年の夏にリリースしました。

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その頃、毎週投資家さんたちと揉め始めるんです。

現金も尽きかけていて、親会社はアメリカにまだあって毎月日本に送金していました。
投資家さんが当時9社いたのですが、受託でもなんでもして食いつないでチャンスを待つという意見と、失敗してもいいから大きなビジネスにチャレンジしろという意見の2つに分かれていて。僕らは前者を選びました。

そこから、アプリの受託案件をしまくりました。アプリの開発案件を中心にやりながら、自前で2週間に1本サービスを作るという時期でした。

当時4人しかいなかったので、2人で2チーム作って、企画開発マーケティングをやっていました。

そこで新規事業を作るノウハウはすごく溜まりました。また受託をやったことで金銭的に余裕ができました。

西井:お金がそれなりにできて次に何をやるかというタイミングですね。

鈴木:4人で話し合って、これはうちのやりたいことじゃないという話になるわけです。次は絶対に外したくないねと。

ちなみに、創業者全員やめていないんです。
最初に目立ってデビューしたので、そこで降りるのがかっこ悪いと思っていたのと、まだ全然道半ばでしたし。
起業してサービスを当てた経験がないという状態で終わるのが悔しかったんだと思います。

当時、4人の仲は最悪でしたね。一緒にいてもまったく話しませんでした。

西井:今は仲はいいんですか?

鈴木:今はいいですね。やはり、成長はすべてを癒すんです(笑)。

フォトグラファー:三浦一紀

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