今、多くの企業がオウンドメディアを立ち上げ、コンテンツを作成しています。しかし自社が訴求したいコンテンツやサービスをユーザーにわかりやすい文章で届けることは簡単ではないでしょう。

SEOライティングで有名な書籍「沈黙のWebライティング」を執筆したウェブライダー社の松尾茂起氏は校閲・推敲支援ツールである文賢をプロデュースし、多くの人に伝わりやすい文章の普及に努めています。

松尾氏は今後、文賢をさらにアップデートさせ、文字をただ校正・校閲するだけではない、「コミュニケーションをサポートするツール」を目指していると言います。記事がコミュニケーションをサポートするとはどのようなことなのか、そこから見える「分かりやすさ」「コンテンツの質」とは何なのか。ferret Founding Editorの飯髙悠太が伺いました。

松尾茂起氏プロフィール

松尾茂起氏

関西学院大学 経済学部を卒業後、音楽系の制作会社に就職。その後独立し、2010年に株式会社ウェブライダーを設立。検索集客を軸としたWebマーケティングコンサルティングコンテンツ制作を手がける。これまでにプロデュースした主なコンテンツは「沈黙のWebマーケティング」「沈黙のWebライティング」「美味しいワイン」など。沈黙シリーズは書籍化され、 それぞれAmazonランキングのベストセラーに。作曲家・ピアニストとしても活動中。
最近では校閲・推敲ツールである文賢を運営している。

たくさんの人の視点を知ることが、分かりやすさにつながる

飯髙:
今日は「コンテンツの質」を中心にお聞きしたいと考えています。松尾さんは近頃は特に、校閲・推敲支援ツールである「文賢」の開発に力を入れていますね。なぜ文賢を開発することになったのでしょうか。

松尾氏:
文賢を開発した経緯を話す前提として、まず弊社が「どんなコンテンツを世の中に発信していけばいいのか」という問いがありました。弊社がつくってきたコンテンツというのは端的に言えば*「多くの人にとって、分かりやすいコンテンツをつくろう」*ということです。

「わかりやすい」という言葉は漢字で書くと「分」かりやすいと書きます。この漢字が示すように、わかりやすい定義と言うのは、コンテンツを見た人が、第三者にその内容を伝えられること。つまり、そのコンテンツの内容を「他者と分かち合えるくらいに理解しやすいこと」と定義しています。

ただし、私は「分かりやすい」というのはその人自身の主観に委ねられるものだと考えています。例えば極端な話、文章が乱れていても「その文章を何としても読んでみたい」「何としても理解したい」というモチベーションがあれば、人はそのコンテンツを自ら理解しようと努めます。

そう考えた時に、「分かりやすい」コンテンツをつくる上で重要なのは、いろいろな人の視点を知ることだという結論に至りました。

そこから、世の中の人たちがどんな視点を持ってコンテンツを見ているのかということに注目し始め、世の中で支持されているコンテンツを徹底的に研究しました。

その結果、今まで自分が見えていなかった視点をたくさん手に入れることができました。

ただ、そのすべての視点を自分の頭の中に留めておくことはとても難しいでしょう。人間の記憶には保存容量の限界があるので、そこをツールで補う。要するに、ツールを通すことによって「こういう視点もありますが見落としていませんか?」といった視点を与えてくれるツールが欲しいと思い始めたのが、文賢をつくり始めたきっかけです。

文賢には推敲機能や校閲機能が入っていますが、あれらは文賢というプロジェクトの一機能に過ぎません。文賢が目指す未来は、何かコンテンツを入れたときに、「このコンテンツをこのターゲットに向けて発信すると、こういう結果が待ち構えていますよ」と提示してくれることです。

かと言って、すべての視点を調べて組み込むのは大変です。しかし世の中の人たちに共通している視点、いわゆる「最大公約数的な視点」はあります。まずはこうした視点をしっかり分析してユーザーがどのように行動しているかを把握し機能に落としこんでいきたいですね。

小さな画面でもコンテンツはしっかり読んでもらえる

松尾氏
松尾氏:
ユーザーを分析する際には、何でもかんでも自分で考えた想像の中で定義していくのではなく、コンテンツをつくっている側が「実際にユーザーってこんなふうに動くよね」という客観的な観測が重要です。

例えば、「モバイルのユーザーはページを長く見てくれない」と断定している記事をたまに見かけます。あれはしっかりとコンテンツをつくっている側からすると全くの間違いです。なぜなら弊社が作成しているワインのサイトは滞在時間が16分、17分あって、モバイルのユーザーがとても多くいるからです。

確かに「モバイルの画面はすごく小さいし、スクロールに時間がかかるので、モバイルを使ってコンテンツを読む人って少ないのでは」みたいに思われるんですけど、実際に情報を探している人や本気度が高い人はスクロールして読み込みます。昔の携帯小説やガラケーの携帯小説が流行ったみたいに、面白ければ読むんです。

それこそガラケーのインターフェースは今思えば決して利便性の高いものではありませんでした。それにも関わらず「恋空」とか普通に数時間かけて読んでいたじゃないですか。つまり、ページが読まれない原因はコンテンツ側にあって、デバイスが問題ではないんです。むしろ、スマホの小さな画面は余計な画面情報が少ないので、集中して読み込みやすいのかもしれません。

「誤字脱字はあってもいい」人間臭いチェックツール

松尾氏
飯髙:
コンテンツの質といった時に文賢には誤字脱字の検出機能があります。Webメディアは誤字脱字が多いことがコンテンツの質を下げる要因になっているという意見もありますよね。この機能もそういったコンテンツの質を担保するために実装しているのですか?

松尾氏:
確かに文賢には誤字脱字の検出機能があり、この機能をしっかり強化したいと考えています。しかし僕個人としては「文章の中に誤字脱字はあっても構わない」と思っていますね。例えば、一生懸命書いている文章に対して、すべてが完璧だったらまるでテンプレートをコピーしたかのようで、むしろ書いている時の筆者の温度感が伝わりにくい。

文賢は顧客のサポート業務にも使われることを想定しているのですが、例えば、すごく怒っているお客さまのメールに返信するときに、その文章があまりに理路整然としていたら「本当に気持ちを込めて対応してくれているの?」と取られることもあるでしょう。

むしろ、誤字脱字を残しておいたほうが本気度が伝わるかもしれない、という視点を伝えるようなツールにもなれば面白い。より人間臭いチェックツールというか、完璧がいいだけではなく、重要なのはどのようにコミュニケーションするかです。

飯髙:
人間臭いチェックツール。いい言葉ですね。

松尾氏
松尾氏:
弊社が軸としていることがまさに、このコミュニケーションという言葉です。

文章は「相手に一方的に読んでもらうもの」という考え方がおかしいのです。僕はコンテンツを発信しているとき、読み手はコンテンツと対話している、と考えています。つまり、双方向のコミュニケーションが発生しているわけです。

なぜかと言うと、コンテンツを読んでいるユーザーは心の中で同意したり、ツッコミを入れたりしています。これはコンテンツと対話していると言えます。いいコンテンツというのは対話が成立するコンテンツなのです。このように考えると、相手が思考する時間を与えるための「行間」を空けたり、相手が理解しやすいような分かりやすい言葉を使ったりすることが大切だと気付きます。

例えば、行間を空けなければ何が起こるかというと、ユーザーが反芻する余白がなくなってしまい、解釈できません。解釈しようとしている間にさらに情報やコンテンツが入ってくると、畳みかけられるように情報が増えてしまい「結局、何かよくわからない」という感じになってしまいます。

だから、弊社でコンテンツをつくるときは、行間を空けることを常に意識していて、「ユーザーの理解スピードに合わせた適切な行間の空け方ってどれくらいだろう?」ということを考えています。

このようにコミュニケーションという軸で考えると全部わかってきます。「なぜ句点で改行するのか」「なぜこのフォントにするのか」「なぜこのフォントサイズにすべきなのか」とか。すべてコミュニケーションを成功させるためです。

例えば、ワインを紹介する記事があったとします。記事を読み進めてくれた人って、ある程度そのコンテンツに信頼をよせてくれていますよね。その記事が勧めるワインであればという気持ちになっているかもしれません。それなのにワインを買ってもらおうと思って商品リンクを目立たせるためにフォントサイズを極端に大きくしたり、目立つ色にするという行為はあまりよくありません。

なぜなら、記事を読んで信頼したのに、一方的にモノを売りつけられていると感じて、興ざめしてしまうからです。これは明らかにミスコミュニケーションなのですが、こういったことを考えられるコンテンツ作成者は残念ながら少ない。とにかく何でもかんでも目立たせようと、派手なバナー広告を突然挿入したり、前後の文脈を無視した文章を挿入したり、それは現実のコミュニケーションを考えるととてもありえないことをしているわけです。

例えば、このインタビュー中に僕がいきなり机の下から巨大な怪しい壺を取り出して「実は今日はこの壺をお見せしたくて...」と話し出したら、ここまで良い話をしてきたことが全部台無しになっちゃいますよね。コンテンツの現場では、そういうことが実際に行われているわけです。

コミュニケーションを取ることを意識しないまま「コンテンツを作ってもコンバージョンが伸びない」と言うのは、すごくおかしい。こうしたコミュニケーションをサポートする機能を文賢に入れていきたいですね。

相手に合わせて文体も変化するべき

飯髙氏
飯髙:
文章のパターンは、届けるターゲットによって使い分けが非常に難しいですよね。例えば、小説で歴史小説が好きな人と恋愛小説が好きな人って、提案してもらいたい文章は全然違います。そういった使い分けなども今後はもっとできるようになっていくということでしょうか。

松尾氏:
そうです。年齢とか性別とかでターゲットを設定すると文賢のチェック、アルゴリズムがちょっと変わるというのを考えています。硬めの文章と緩めの文章まで柔軟に選択できるようにしたいですね。例えば、Twitterに投稿するときは、硬い文章よりもちょっと砕けた文章とか、うれしいと文字で書くよりも顔文字にしたほうがいいんじゃないかとか、そういうのがいいと思っています。

飯髙:
不思議ですよね。同じ人が書く文章に、色々な人格が出てくるような感じです。

松尾氏:
私の好きな考え方に平野啓一郎さんという小説家の「分人主義」があります。分人主義ってすごく面白くて、人は実は基本的に複数の人格を持っているというものです。

例えば、今、飯髙さんに向き合っている松尾は、飯髙さん仕様の松尾なのです。この後、別の人に会うのなら、その人仕様の松尾。恋人と会うのなら、恋人仕様になっている。しかし、それは多重人格かというとそうではなく、全部本当の自分なんです。人は向き合う人に合わせて自分の人格をカスタマイズしている。それが人間の面白さだと思うんです。

僕は文賢を使うことによって「積極的に変化しようよ」ということを社会に提案したいのです。今、自分の信念やポリシーを大切にしすぎて、変化に不器用になっている人たちが増えている。例えば、明らかに自分に非があるとしても謝れない。「自分はこうだから」と。でも、ただ謝れば済むだけのことっていっぱいあると思うのです。そういうのも文賢がアドバイスしようと。「あなたが今変化したら、こんなに素敵な未来が訪れるかもしれませんよ」というシミュレーションを見せられれば、幸せな未来が近づくと思っています。

「そうだ、文賢に聞いてみよう」

松尾氏
松尾氏:
Webの世界では現実では考えられないミスコミュニケーションが起きてしまっています。直接人と向き合って話せば伝わることも、画面ばかり見てしまって伝わらなくなっている。先ほど言ったような変化を許容できない人が増えていることが一つの要因かもしれません。

Webの世界では文章の温度やリズムが伝わりにくく、一方通行になりがちです。これは現実に置き替えたら「普通はやらないよね」ということばかりやっているんですよね。そういうことにもっとWebを使う人たちが気づいて、思いやりやコミュニケーションをきちんと意識したコンテンツが増えればいいのではないか、と考えています。

文賢はまだコミュニケーションのサポートの入り口になったレベルなのですが、最終的には「こういう言葉の使い方をしたほうが、より相手に伝わるよ」というような気づきを与えていきたいですね。

人って誰かに間違いを指摘されると、自分が尊敬している人からでない限り、普通に拒絶してしまいます。人は納得して自分の行動を決めたい生き物なので、尊敬していない人や知らない人からの指摘に対して「なぜ、あなたの言うことを聞く必要があるの?」と感情的に拒絶してしまいやすいんですね。だったら、意見を言う側をロボットすなわちツールにしてしまってはどうか?と考えました。

きっと「ロボット(ツール)が言うのだったら、まあ仕方ないか」と意識になるのではと思いました。

飯髙:
文賢は将来的には文章だけではなくて、画像に対してもアドバイスするようなツールになっていきますか?

松尾氏:
そうです。目指しているのは、例えばメールを送る際のサポートや対人のコミュニケーションのサポートとして使われるようになることです。

テキストだけでなく、画像を含めたサポートメールを送る時に相手を怒らせる内容をわからないで送る人がいるためです。

毎日メールを返信してると、どうしてもどんどん視点が狭くなっていってしまいます。サポートは失敗するとそのブランドの評価を落としたりとか、お客さんからクレームを受けたりしてしまいます。文賢のサポートによって、ちょっとした言葉の選択で失敗を防ぐ、ということをしたいですね。

ですので、正直純粋の誤字脱字確認のツールとしてはあまり期待していません。文賢でもある程度の誤字脱字はもちろんチェックしますが、他社の推敲・校閲ツールでできないチェックやアドバイスを文賢がやっていこうというように変えていっています。

だから、「そうだ、文賢に聞いてみよう」みたいなところまで行くといいですね。

<後編に続く>
Photo by 青木勇太