コンテンツの質とは「作り手に情熱があるかどうか」

**飯髙:**オウンドメディアやコンテンツマーケティングの文脈で、よく「コンテンツの質」について言及されていると思いますが、津田さんが考える「コンテンツの良し悪しを判断する基準」ってなんでしょうか。

**津田:**やっぱり、作っている人たちの情熱があるか、軸があるかどうかじゃないですかね。そこが全てだと思います。
良い悪いは主観的な判断でしか無いので、それは編集長しか決められないと思います。
メディアは編集長が考えていることを実現するためのものであって、極端に言えば編集部員は編集長の手足となってメディアの持つビジョンを記事というかたちで具現化する。
良いメディアに共通しているのは、コンセプトと軸と情熱があるということですね。

これは音楽でも何でも、全てのコンテンツに共通する普遍的なことかなと。
良い物で売れるものもあれば良くないのに売れるものもある。その相関関係って未知だから、だったら自分たちで納得できるものを試行錯誤しながら作り続けるしかない。
最終的には、出したものが確実に誰かの役に立っているとつくっている側が実感できればそれは「良い」コンテンツなのではないかなと思います。

僕も、自分のコンテンツを読んだユーザーから「面白かった」って言ってもらえるのが原動力になっていますしね。それがあるから辛い徹夜作業も乗り切れる。

人にしかできない仕事とは?

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**飯髙:**先ほど、津田さんはナップスターの登場で「ライターは食えなくなる」と予感したと仰ってましたが、先日の津田マガでも「ホワイトカラーの仕事までもAIに奪われる」という下りがありましたよね。

高度な知識を必要とされる職業(弁護士や医師、株式ディーラー等)がAIに取って代わられる、編集領域でも同じで、文章の簡単な要約ならAIでもできると。
人の仕事領域がAIに奪われていく中で、人にしかできないことは残るものなのでしょうか。

**津田氏:**確かにAIはホワイトカラーの仕事を奪うと言われていますが、人にしかできない部分はなくならないと思います。やっぱり人が感動するものとか、感動するきっかけをAIで作り出すのは難しいのではないかなと。

例えばNetflixなんかは賢いなと思うのですが、再生中に一番ブラウザを閉じられなかった俳優がケビン・スペイシーで、一番見られていた監督がデヴィット・フィンチャーだった。だからこの2人を採用したけど、そこから先の制作は全部クリエイターに任せたんですよね。そういうスタンスだったからこそ成功できたんだと思います。

人が何に感動するかって、わからないんですよね。
例えば昔、イカ天という音楽番組がありましたが、そこで「たま」というバンドが絶大な人気を獲得しましたよね。たまってものすごくアングラなバンドなのに大ヒットしたんですよ。
あのバンドがなぜそこまで売れたのか、誰も説明できないんですよね。でもコンテンツってそういうもので、多分そこが本質で。
「売れる」ものはビッグデータでつくれても、本当に人を感動させるものを作ったり、自分が感動したことを伝えたりすることが、、AIに侵されない、人間が持つ最後のサンクチュアリなのかなと。

逆に言えば、クリエイティブ産業で機械に代替されるような仕事をしている人は必要とされなくなっていくでしょうね。
ナップスターが登場した時、僕はほとんどのライターはダメになると感じたと話しましたが、実際多くのライターが消えていきました。
逆に残ったライターは、本当に書けて取材できる人か、この未来を予想して、先回りして動いたライターでしたね。