21歳で起業したときが一番のピーク

西井:それで21歳で起業をしたと。

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鈴木:そうです。20歳で日本に戻ってきて、デジタルガレージさんが運営する「オープンネットワークラボ」というインキュベーションスペースに入ったのが2010年の冬になります。
そこでチーム集めをしながらサービスのプロトタイプを作りつつ、メンタリングを受けるということをやっていました。

僕はプログラミングもデザインもできないので、メンバー探しが一番大変でしたね。
それでどうにか、イベントでプレゼンできるくらいのバージョンができたので、テッククランチさんの「Teclosion」というイベントに出たら優勝したんです。まだサービス完成してないんですが(笑)。

結構高評価をいただきまして、いろいろなメディアに出させていただいて。WBSに出たりもしました。それが我が社の一番ピークの時期ですね(笑)。
その後、投資家さんから4,000万円くらいの資金調達をして、アメリカに行って。一軒家を借りて創業者の5人で起業するぞと思っていたんです。

西井:なぜ、今日本にいるのかということになるんですが。

鈴木:就労ビザを申請して落ちたんです。5人全員。完全にアウトですよね(笑)。

書類審査受かったら大丈夫と言われていたんです。投資家向けのビザを申請していたんですけど。
書類選考を通ったら絶対面接はスルーするからと言われていて。それでいざアメリカの大使館に行ったら、通せませんと。

かつ、移住する意思を見せているので、君たちは当分アメリカに入れません、なんならESTAを剥奪しますみたいな。

西井:ほんとですか(笑)。

鈴木:書類選考受かった時点で、絶対アメリカに行くと思っていたので、家を解約していたメンバーもいたんですよ(笑)。

西井:ほんとうにギリギリのタイミングでNGになったんですね。

鈴木:当日お別れ会があったメンバーもいました(笑)。

そこから我が社の冬が始まりました。一瞬メディアで取り上げられて、投資家の方がやってきて。要は調子に乗って舞い上がっていたんですね。

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西井:それで、今まで考えてきたことは全部ダメですね。

鈴木:しかも、親会社はアメリカに作ってますし。

ファイナンスしたお金、全部向こうの口座にドル建てで置いてあるんですよ。そこから暗黒の時代に入ります。
日本にいづらかったので、シンガポールに1ヶ月経営合宿に行きました。22歳のときですね。

西井:世の中の同年代の人たちが就職しているなか、すでに一山来て、終わって、シンガポールに逃げようとしている(笑)。

鈴木:23歳の4月はシンガポールにいました。遅い卒業旅行ですね。
当時もワンダーシェイクを展開していたのですが、サービスとして難しかった。日本だけじゃなくて、アメリカでも難しかったと思うんですけど。

このモデル、デーティング以外でまだ存在していなくて。それこそpairsやカップルズとか近いと思うんですけど、それらは一応出会い系じゃないですか。
うちはもっとカジュアルに、出会いじゃなくても使えるというのを作りたくて。そうなると、ユーザーのモチベーションが若干弱まるというところと、ニーズが顕在化していない。
プラス、アプリを使っている人同士がリアルタイムで同じエリアにいるということが難しかった。

100億円あって、5年間くらい超優秀なメンバーを集めてマーケティングをしたらいけたかもしれませんが、当時はそんな経験もなく、現金もなくなってきますし。
そこで、ワンダーシェイクからはピボットしようと決めました。